青山士(読み)アオヤマ アキラ

20世紀日本人名事典 「青山士」の解説

青山 士
アオヤマ アキラ

明治〜昭和期の土木技師



生年
明治11(1878)年9月3日

没年
昭和38(1963)年3月21日

出生地
静岡県磐田

学歴〔年〕
東京帝大工科大学(現・東京大学工学部)〔明治36年〕卒

経歴
第一高等学校在学中から内村鑑三師事。大学で土木工学を修め、明治36年土木工事の現場技術を学ぶため単身渡米、唯一の日本人技師としてパナマ運河開削工事に従事。測量のポール持ちで雇われたが、測量技師補、測量技師を経て、閘門設計技師に抜擢された。帰国後、運河開削の体験を基に「パナマ運河工事出稼談」「パナマ運河の話」などの報告文を書く。45年内務省に入省し内務技官。大正13年荒川放水路、昭和6年信濃川大河津分水補修工事などを手掛けた。9年内務技監、10年には土木学会会長を務める。11年退官後は東京市、兵庫県、旧満州などで治水事業に尽くした。25年土木学会名誉会員。晩年は帰郷し静岡県総合開発審議会井委員などを務めた。没後の平成10年、作家・三宅雅子が半生を描いた小説「熱い河」の出版により業績が再確認され、パナマでの顕彰事業が進む。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青山士」の解説

青山士 あおやま-あきら

1878-1963 明治-昭和時代の土木技術者。
明治11年9月3日生まれ。36年東京帝大を卒業と同時にパナマにいき,7年半にわたり運河開削工事に従事。帰国後内務省技官となり,担当所長として大正13年荒川放水路,昭和6年信濃川(しなのがわ)大河津分水の補修工事を完成させた。土木学会会長。内村鑑三に師事し,熱心なクリスチャンだった。昭和38年3月21日死去。84歳。静岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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