青山忠裕(読み)あおやま ただやす

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青山忠裕」の解説

青山忠裕 あおやま-ただやす

1768-1836 江戸時代中期-後期大名
明和5年5月8日生まれ。青山忠高(ただたか)の3男。兄忠講(ただつぐ)の跡をつぎ,天明5年丹波篠山(ささやま)藩(兵庫県)藩主青山家4代となる。寺社奉行,若年寄,大坂城代,京都所司代を歴任し,享和4年老中。尊号一件,相馬大作事件の処理にあたった。天保(てんぽう)7年3月20日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「青山忠裕」の解説

青山忠裕 (あおやまただやす)

生年月日:1768年5月8日
江戸時代後期の大名
1836年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の青山忠裕の言及

【篠山藩】より

…以後松平(藤井)氏2代,松平(形原)氏5代,青山氏6代が相継いだ。石高は当初5万石であったが,老中を30年務めた青山忠裕(ただやす)が功として1827年(文政10)1万石加増された。藩主はいずれも徳川譜代の大名で,幕府の要職に就く者が多かったため出費がかさみ,重税に対する農民の不平が一揆となって16件も発生している。…

※「青山忠裕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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