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江戸幕府の職名。大坂城にあって,大坂在勤の幕府諸役人の首班として大坂城の防衛に当たり政務を統轄した。また西日本諸大名の監察に当たった。豊臣氏滅亡後,幕府は大坂に松平忠明をいれたが,1619年(元和5)大坂を直轄地として大坂城代をおいた。初代の城代は摂津高槻城主内藤信正で,伏見城代より転じた。幕末まで70名が就任している。この地位の重要性により,最高15万石,最低は仮役の場合であるが2万石,だいたいにおいて5万~11万石の譜代大名が任命された。任期は不定で,寛永・正保期の阿部正次(21年),寛文・延宝期の青山宗俊(16年),元禄~正徳期の土岐頼隆(21年)が長期間であるが,1年未満もあり,数年で動く例が多かった。承応~万治期には水野忠職,内藤忠興,松平光重の3名が,3年ついで1年で交代し勤務していたこともあった。役知1万石,四位,屋敷は城内二の丸千貫櫓北,下屋敷は城外西の現法円坂町にあった。大坂は幕府にとって要地であったから,城代は重職であり,奏者番,寺社奉行から転じ,所司代,老中となるのが多かった。したがって幕閣の中心となった松平乗邑,水野忠邦らの名も見えるが,しかし市政については大坂町奉行所が直接担当しているためか,城代の活動はあまりはっきりしていない。
執筆者:脇田 修
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江戸幕府の職名。大坂在勤の諸役人を率いて政務を行うほか、大坂城を守護し、あわせて西国(さいごく)諸大名の動静を監督した。1619年(元和5)大坂が幕府直轄地となって、内藤信正(のぶまさ)が伏見(ふしみ)城番から転じたのが始まりである。幕末まで延べ70名がこの任にあたった。重職であったから、おおむね5万~6万石以上の譜代(ふだい)大名のなかから選任された。創設後しばらくの間、2年あるいは1年の交代制をとったことがあるほかは、定まった任期がない。役知(やくち)は1万石、四位に叙し、任期を勤めたのちは京都所司代、ついで老中へと進む昇進コースが開かれていた。城代屋敷は城内千貫櫓(やぐら)の北にあり、城外の清水谷(しみずだに)東町・西町の地に下屋敷が与えられた。
[藪田 貫]
江戸幕府の職名。大坂城に駐在して城下諸役人の首班として城の守護にあたり,政務を統轄した。また西日本諸大名の動静を監察した。1619年(元和5)大坂が幕府の直轄地とされたとき初設。重職のため原則として5万~6万石以上の譜代大名から選任されたが,実際は最高15万石から最低仮役2万石までであった。任期は不定。最長21年から最短1年未満の者もいたが,多くは数年間の在任。幕末まで70人就任。奏者番・寺社奉行から転任し,京都所司代・老中へ進む昇進コースの一つとされた。老中支配。役知1万石。四位に叙された。屋敷は城内二の丸千貫櫓北,下屋敷は城外西の現在の法円坂町にあった。
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…江戸幕府は大坂,二条,駿府,伏見(のち廃止)の4城を直轄として譜代大名らを城代に任命した。ことに大坂城代は西国大名を監督し,のち老中への出世コースとなった。また諸藩では,藩主の参勤中に城を守衛した老臣を,城代,城代家老などと称した。…
…こうして大坂は西日本の諸大名に対する幕府の軍事的拠点となった。19年伏見城代内藤信正を直領となった大坂に移して大坂城代制が創始され,23年には大坂定番制が制度化された。大坂城代は定番,加番をひきいて城中を警衛し,大坂東西町奉行,堺奉行を監督して町つづきを管轄すること,摂・河・泉・播の直領の徴租と訴訟,裁判をあつかい,さらに西日本の大名を監視することを任とした。…
※「大坂城代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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