青島庄(読み)あおしまのしよう

日本歴史地名大系 「青島庄」の解説

青島庄
あおしまのしよう

甲府盆地南縁部の笛吹川・富士川左岸にあったとされる庄園。建久二年(一一九一)一〇月の長講堂領目録(島田文書)に「青嶋」とみえる。京都長講堂は後白河法皇によって創建され、法皇没後は娘宣陽門院がその所領を管領した。近衛家実の娘長子養女とし後堀河天皇の中宮とした宣陽門院は、寛元四年(一二四六)正月に長子(鷹司院)に所領を譲与することを決めたが、その後変更して建長三年(一二五一)二月後深草天皇へと伝えられた。正応六年(一二九三)四月鷹司兼平から子基忠に譲られた家領のなかに当庄の名がみえる(「鷹司兼平譲状案」鷹司家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む