朝日日本歴史人物事典 「青木一重」の解説
青木一重
生年:天文20(1551)
戦国・江戸前期の武将。通称は忠助,所右衛門。名は重通ともいった。青木重直の長男で,はじめ,徳川家康に仕え,元亀1(1570)年の姉川の戦に朝倉方の猛将として知られた真柄十郎左衛門を討ち取って勇名をはせた。その後,家康のもとを去って,丹羽長秀,次いで豊臣秀吉と主人を替え,使番,黄母衣衆となり,天正13(1585)年には摂津国豊島郡府田(豊中市)などに1万石を与えられている。関ケ原の戦ののち,大坂城の七手組頭のひとりとなり,元和1(1615)年,大坂夏の陣の直前,秀頼の使者として駿府に赴き,抑留される。大坂城落城後出家し,のち家康に再出仕した。法号宗佐。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報