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青木一重 あおき かずしげ

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美術人名辞典の解説

青木一重

安土・桃山・江戸初期の武将。美濃生。重直の男。名は忠助・重通。初め徳川家康の臣で、姉川の戦いで武功をあげる。ついで豊臣秀吉に仕え、大坂夏の陣の直前に秀頼の使者として駿府に赴いたが抑留された。大坂落城後は江戸幕府に仕え、摂津国麻田一万石を領した。寛永5年(1628)歿、77才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

青木一重 あおき-かずしげ

1551-1628 織豊-江戸時代前期の大名。
天文(てんぶん)20年生まれ。青木重直の長男。徳川家康,のち豊臣秀吉・秀頼につかえる。大坂落城後出家して宗佐と号したが,ふたたび家康にしたがい,慶長20年摂津麻田藩(大阪府)藩主青木家初代となる。1万2000石。寛永5年8月9日死去。78歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

青木一重

没年:寛永5.8.9(1628.9.6)
生年:天文20(1551)
戦国・江戸前期の武将。通称は忠助,所右衛門。名は重通ともいった。青木重直の長男で,はじめ,徳川家康に仕え,元亀1(1570)年の姉川の戦に朝倉方の猛将として知られた真柄十郎左衛門を討ち取って勇名をはせた。その後,家康のもとを去って,丹羽長秀,次いで豊臣秀吉と主人を替え,使番,黄母衣衆となり,天正13(1585)年には摂津国豊島郡府田(豊中市)などに1万石を与えられている。関ケ原の戦ののち,大坂城の七手組頭のひとりとなり,元和1(1615)年,大坂夏の陣の直前,秀頼の使者として駿府に赴き,抑留される。大坂城落城後出家し,のち家康に再出仕した。法号宗佐。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の青木一重の言及

【青木氏】より

…近世大名。美濃国の出身。一重はもと今川氏に仕え,一時徳川家康に属したが,その後父重直とともに豊臣秀吉に仕えて1万石を領した。1615年(元和1)豊臣氏滅亡後,再度家康の下に帰属し,摂津麻田1万2000石の大名となる。のち分知により1万石,以後幕末に至る。当主はおおむね従五位下甲斐守に叙任。維新後は子爵。【大森 映子】…

※「青木一重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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