青木庄(読み)あおきのしよう

日本歴史地名大系 「青木庄」の解説

青木庄
あおきのしよう

筑後川左岸の上青木・下青木・西青木および青木島あおきしまに比定される安楽寺(太宰府天満宮)領庄園。「和名抄」所載の三潴みぬま郡青木郷の系譜を引くとされる。安楽寺草創日記によると、康保元年(九六四)大宰大弐藤原佐忠が東法華堂(天暦元年八月創建)に青木庄などを寄進した。また食堂(延久四年建立)の修理の庄々として当庄など八庄が充てられ、建永元年(一二〇六)には七条女院(藤原殖子)が新三重塔建立のため青木庄荒野を寄進している。当庄の鎮守は上青木の天満宮(老松宮)。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状には筑後国一円の庄として庄名がみえ、応永二年(一三九五)閏七月二五日の天満宮領筑後国所領注文(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一二)にも記載がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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