20世紀日本人名事典 「青木徹二」の解説 青木 徹二アオキ テツジ 明治・大正期の商法学者,弁護士 慶応義塾大学教授。 生年明治7年9月9日(1874年) 没年昭和5(1930)年10月12日 出生地岐阜県 学歴〔年〕慶応義塾〔明治30年〕卒 学位〔年〕法学博士〔明治43年〕 経歴時事新報記者、検察官を経て、明治32〜35年ヨーロッパに留学。帰国後、母校である慶応義塾で商法を講じた。大正9年不敬罪の廃止を唱えて起訴され、禁固4ケ月の判決を受けた。大審院に上告したが、11年棄却され、刑に服した。同年慶応義塾大学教授を辞職。その後、弁護士として活躍した。著書に「商法全書」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「青木徹二」の解説 青木徹二 没年:昭和5.10.12(1930) 生年:明治7.9.9(1874) 商法学者,弁護士。岐阜県出身。父は青木熊太郎,母はリウ。明治30(1897)年慶応義塾卒。『時事新報』記者,検察官を務めたのち,32~35年ヨーロッパ留学。帰国後母校で商法を講じ,その間商法全体にわたる体系書『商法全書』(1903~05)を刊行。43年法学博士号を受ける。大正9(1920)年,雑誌『東方時論』に「続世相審かし論」を寄稿,不敬罪の廃止を唱えた。「皇室ノ尊厳ヲ冒涜」したとして新聞紙法違反で起訴されたが,法廷でも説の撤回を拒み,禁固4カ月の実刑判決を受けて,大審院まで上訴したが,11年棄却され,下獄した。同年慶大教授を辞職。以後12年関東大震災後,保険会社諸社の弁護人を務めるなど,弁護士として活躍した。 (長尾龍一) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木徹二」の解説 青木徹二 あおき-てつじ 1874-1930 明治-昭和時代前期の法学者。明治7年9月9日生まれ。32年ドイツ,フランスに留学。35年帰国し,母校慶応義塾などで商法をおしえる。42年弁護士となった。昭和5年10月12日死去。57歳。岐阜県出身。著作に「商法全書」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by