青木融光(読み)アオキ ユウコウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「青木融光」の解説

青木 融光
アオキ ユウコウ


職業
声明

肩書
真言宗豊山派大僧正

本名
青木 義種(アオキ ヨシタネ)

生年月日
明治24年 5月2日

出身地
東京府清瀬村(清瀬市)

学歴
豊山大学(大正大学)卒

経歴
15歳で僧職につき、大正9年奈良の総本山長谷寺へ。在山25年、連日法要に出仕し豊山声明を体得。専修学林講師、事相専門道場教授、伝法缶頂教授などを経て、昭和19年退任、円通寺に帰住戦後長谷寺の事務長、宗派の最長老の「集議」、学問の最高位の「勧学」をつとめた。真言豊山派声明の第一人者として所伝の声明の録音公演等が行われ、41年国立劇場第1回声明公演以来、第4 7 15〜19回に出演、導師などを務める。53年国から記録選択無形文化財の技芸者に指定された。「真義真言声明集成」「四座講式」などのレコードがある。

受賞
芸術選奨文部大臣賞〔昭和53年〕

没年月日
昭和60年 5月20日 (1985年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「青木融光」の解説

青木 融光
アオキ ユウコウ

明治〜昭和期の声明家 真言宗豊山派大僧正。



生年
明治24(1891)年5月2日

没年
昭和60(1985)年5月20日

出身地
東京府清瀬村(現・清瀬市)

本名
青木 義種(アオキ ヨシタネ)

学歴〔年〕
豊山大学(現・大正大学)卒

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣賞〔昭和53年〕

経歴
15歳で僧職につき、大正9年奈良の総本山長谷寺へ。在山25年、連日法要に出仕し豊山声明を体得。専修学林講師、事相専門道場教授、伝法罐頂教授などを経て、昭和19年退任、円通寺に帰住。戦後、長谷寺の事務長、宗派の最長老の「集議」、学問の最高位の「勧学」を務めた。真言豊山派声明の第一人者として所伝の声明の録音、公演等が行われ、41年国立劇場第1回声明公演以来、第4 7 15〜19回に出演、導師などを務める。53年国から記録選択無形文化財の技芸者に指定された。「真義真言声明集成」「四座講式」などのレコードがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木融光」の解説

青木融光 あおき-ゆうこう

1891-1985 明治-昭和時代の僧。
明治24年5月2日生まれ。真言宗豊山(ぶざん)派の声明(しょうみょう)家。東京清瀬の円通寺住職。大正9年奈良の長谷(はせ)寺にはいり,宰堂(さいどう)事務長をつとめ,声明を同寺の高橋了照にまなんだ。国立劇場や欧米各地で公演をかさね,昭和53年芸術選奨。昭和60年5月20日死去。94歳。東京出身。豊山大(現大正大)卒。本名は義種。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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