青蓮寺村(読み)しようれんじむら

日本歴史地名大系 「青蓮寺村」の解説

青蓮寺村
しようれんじむら

[現在地名]名張市青蓮寺・百合が丘東ゆりがおかひがし一―三番町・同六番町・同八―九番町・百合が丘西ゆりがおかにし六番町

なか村・星川ほしかわ村の南東にあたり、南東部は急崖で青蓮寺川に臨み、南は山で大和国に続く。地形西北に傾斜し、二つの谷の水は西に流れ、合流して釜石かまいし川となり宇陀うだ川に注ぐ。西斜面の台地には古墳が多い。地名は青蓮寺という寺院によると伝えるが不明。

天喜三年(一〇五五)一二月一一日の黒田庄出作田損亡日記(東大寺文書)に「青蓮寺一丁八段」とある。天治三年(一一二六)正月日の伊賀国名張郡司解案(根津美術館所蔵文書)に「青蓮寺保五町一段小」とある。長承二年(一一三三)七月日の伊賀国矢川中村夏見条田畠立券案(東大寺文書)には中村条の下に「又加青蓮寺田六町五段」「畠又加青蓮寺二町」とあり、黒田くろだ庄出作地中村とは別扱いされ、同三年七月日の伊賀国矢河中村夏見公畠取帳(筒井英俊氏所蔵文書)には下延国名など一六名が記されている。

青蓮寺村
しようれんじむら

[現在地名]住吉上住吉うえすみよし一―二丁目・住吉二丁目・墨江すみえ一丁目など

鳥居とりい村の南に位置し、村名は青蓮寺という寺院があったことによるともいい、あるいは「住吉松葉大記」によれば青蓮寺氏の所領であったことが由来ともいう。もと住吉村の属邑で、「摂津志」に「住吉 町名一属邑十一」とあるうちの一村とされる。天保郷帳では独立村(高一七四石余)として扱われている。江戸時代を通じ住吉社領。明治一六年(一八八三)ないしは一七年、鳥居など四ヵ村と合併し、上住吉村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報