住吉区(読み)スミヨシク

デジタル大辞泉 「住吉区」の意味・読み・例文・類語

すみよし‐く【住吉区】

住吉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「住吉区」の解説

住吉区
すみよしく

面積:九・一六平方キロ

大阪市の最南部に位置し、南は大和川を境に堺市と、西は住之江区、東は東住吉区、北は西成にしなり区・阿倍野区と接する。区の西部には住吉大社南端より大阪城に続く上町うえまち台地が延びており、また東部地域は堺から我孫子あびこ田辺たなべ(現東住吉区)生野いくの(現生野区)方面に延びる我孫子台地に続いている。区域はおおむね右の両丘陵に展開しており高燥地が多い。上町台地は古期洪積層、我孫子台地は新期洪積層からなるといわれる。また両丘陵の間は窪地をなし、住吉大社南方には細江ほそえ(一名細井川)の流れが、また北へ延びては万代まんだい池など幾つかの池がみられる。区名の住吉は古代以来の当地付近の呼称にちなむ。

〔原始・古代〕

原始においては、上町台地西斜面下は大阪湾に臨む海辺であり、細江川河口付近はかなり深い入江をなしていたとみられる。当地の弥生時代の遺跡としては、南部の山之内やまのうち遺跡が著名である。同遺跡は西側に隣接する遠里小野おりおの遺跡とともに、土錘や飯蛸壺など漁具を出土する遺跡としても注目され、また弥生前期から長期間にわたって継続して営まれた拠点的な集落遺跡であることが明らかにされている。一方、北部には大型の前方後円墳である帝塚山てづかやま古墳がある。いずれも、区域の開発の古さを示すものといえよう。

古代の当地では住吉社が創建され、また住吉社の南方付近には住吉すみのえ津があった。この津は、古代日本における外交・軍事上の一大要地であり、奈良時代には遣唐使の発着港としても重要な位置を占めた。付近には住吉の得名津えなつ敷津しきつ(現住之江区)などの港も存在した。こうした港津の形成は集落の発展を促したものと思われ、例えば「日本書紀」履中天皇六年条には住吉邑の名がみえている。一方、東方に広がる高台の地には住吉社よりその創建が古いといわれる大依羅おおよさみ神社があり、付近には崇神天皇の命により掘られたと伝える依網よさみ池があった。古代の依羅の地には皇室領である屯倉が置かれており、また有力な豪族である依羅吾彦一族が居住していた。条里制の遺構も知られており、七世紀頃にはかなり発達した農耕社会が出現していたものと思われる。なお古代の当区域は住吉郡に属していた。所属郷については異説もあるが、近世の村名でいえばほり前堀まえぼり・山之内・我孫子・杉本すぎもと庭井にわい苅田かつた村など東部地域はおおむね「和名抄」にみえる大羅おおよさみ郷に、また遠里小野付近は榎津えなつ郷にあたるといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「住吉区」の意味・わかりやすい解説

住吉〔区〕
すみよし

大阪市南部の区。大和川を隔てて堺市に接する。1925年第2次市域拡張に伴い新設。1974年住之江区を分区。上町台地と我孫子台地の南部を占め,大阪市の代表的な住宅地区。上町台地の帝塚山(てづかやま)一帯は高級住宅地として知られ,我孫子台地は第2次世界大戦後,公営住宅地として開発された。上町台地南端の住吉大社は摂津国一ノ宮で,本殿国宝。付近には住吉行宮跡帝塚山古墳などの国指定史跡がある。住吉大社の御田植祭は国指定重要無形民俗文化財。JR阪和線,南海電気鉄道高野線が通る。面積 9.40km2。人口15万3056(2020)。

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