非スターリン化(読み)ひスターリンか(その他表記)de-Stalinization

翻訳|de-Stalinization

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「非スターリン化」の意味・わかりやすい解説

非スターリン化
ひスターリンか
de-Stalinization

1953年の I.スターリン死後進められたスターリン主義克服の過程。 N.フルシチョフを中心とするソ連の指導者は多年にわたるスターリン政治を反省し,死後ただちにこれを是正する措置をとった。まず個人独裁を排し,集団指導体制を復活。大粛清の最後の担当者であった L.P.ベリヤを追放して血の粛清に終止符を打ち,政治犯を釈放,秘密警察を縮小して市民的自由を拡大した。経済政策でも過度の中央集権的管理を改め,新技術を導入,農業の立ち遅れの克服に努めた。対外政策ではコミンフォルムを解散してユーゴスラビアと和解した。 56年の第 20回共産党大会では公然とスターリン批判を展開した。東欧諸国で非スターリン化が本格化したのは,61年のソ連第 21回党大会における第2次スターリン批判以後である。 64年のフルシチョフ解任後非スターリン化の動きは中断されたが,ペレストロイカが始るとさまざまな形で再び非スターリン化が行われた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む