ロシア語で「立て直し」「改革」などを意味し、1985年に就任したソ連のゴルバチョフ・共産党書記長(後に大統領)が強調した。言論を自由化するグラスノスチ(情報公開)を推進し、計画経済から市場経済への移行を目指した改革が進んだ。外交では「新思考外交」の下で東西冷戦を終結。共産党独裁からの民主化を図り、複数政党制や大統領制も導入された。一方で、ソ連を構成する共和国各地で民族間衝突や経済の混乱が発生、91年の保守派によるクーデター未遂事件を招いた。(共同)
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日本では「再編」「改革」「変革」などと訳されているが、本来のロシア語では、「再」もしくは「直す」という意味の接頭語Pere‐と「建物」を意味する名詞のstroykaを組み合わせたものであるから、文字どおりは「建て直し」「改築」を意味することばである。英語ではreconstruction, restructuringと訳されていることが多い。ソ連のゴルバチョフ政権が掲げた、ペレストロイカ、グラスノスチ(公開性)、ウスコレーニエ(加速化)の三つの標語のうち、要(かなめ)の位置を占めている。
ゴルバチョフは1985年3月、チェルネンコの死でソ連共産党書記長に就任するや、翌4月の党中央委員会総会で、1970年代末から1980年代初めにかけてソ連経済に「困難」が存在していたことを率直に認め、まず「経済発展の加速化」の課題を提起し、ついで反アルコーリズム・カンパニヤなどで「人間的要因の活発化」を強調した。1986年2~3月の第27回党大会では、一部に「ラジカルな改革」への言及もあったが、全体としては新政権発足後1年間の路線を集大成し、技術革新を軸とする「加速化戦略」に経済メカニズムの「改善」と「人間的要因の強化」を組み合わせたものと一般には理解されていた。
ペレストロイカが中心課題として真正面に据えられたのは、1987年1月の中央委員会総会に始まる。この総会では、ペレストロイカは政治改革、民主化問題と結び付けて提起され、この前後からマス・メディアでは1930年代批判の論陣が一斉に張られ、「第二次スターリン批判」ともいうべき雰囲気が醸し出された。これと並んで、「ラジカル」な経済改革の方向が設定され、6月の中央委総会で採択されて同月末の最高会議で正式に法律となった「国営企業法」その他で、当面の整合的な経済改革の構図が示された。反対に、このあたりを境に「加速化」には言及されることが少なくなり、「加速化のためにもペレストロイカ」というふうに明らかに重点が移動することになった。1987年11月7日の十月革命70周年記念日を前にして、ブハーリン、ジノビエフ、トムスキー、ラデックその他、トロツキーを除くかつての指導的政治家の名誉回復の方向がほとんど確定し、ソ連史書き直しの口火を切った。
ペレストロイカということばはきわめて多義的に用いられているが、経済、社会、政治から民衆心理までを含む、広い意味の「建て直し」「活性化」路線と解することができよう。この「建て直し」の対象となっているのは、1930年代にその基本的枠組みができあがったソ連社会のあり方のすべてであるから、ゴルバチョフがこれを十月革命に次ぐ「第二の革命」とよんだのも、理由のないことではない。ペレストロイカは確かに「上から」の建て直しという性格が強いが、それは、1920年代末から1930年代なかばにかけて、スターリンの「上からの革命」でつくりあげられたソ連社会の骨格を変えようとしている点で、まさに逆の目標を追求していたものということができる。その「限界」を指摘するのは容易であるが、改革派知識人の批判の目が、1930年代ばかりか、部分的には十月革命の「暗部」にも向けられたという意味で、市民社会意識の覚醒(かくせい)を促したことを見落とすべきではない。
1930年代のアメリカにおけるニューディール(新規巻き直し)を生み落としたのが1929~1933年大恐慌であったのと同様に、ペレストロイカは直接的には1979~1982年の経済危機と、間接的には1970年代初めからの停滞を背景としていた。しかし、深い経済危機を背景とする激しい政治的、社会的および民族間の対立抗争は、社会主義の枠内での刷新を目ざすペレストロイカの枠を超え、1991年8月のクーデターを契機とするロシア共和国大統領エリツィンの主導権掌握と共産党解体、同年12月のソ連解体と連邦大統領ゴルバチョフの退陣というめまぐるしい経過を経て、ペレストロイカはその幕を閉じ、社会主義崩壊と全面的な再資本主義化に道を譲った。
[佐藤経明]
『ゴルバチョフ著、田中直毅訳『ペレストロイカ』(1987・講談社)』▽『ゴルバチョフ著、鈴木康雄他訳『ゴルバチョフ回想録』上下(1996・読売新聞社)』▽『塩川伸明著『終焉の中のソ連史』(1993・朝日新聞社)』▽『塩川伸明著『社会主義とは何だったか』(1994・勁草書房)』▽『塩川伸明著『ソ連とは何だったか』(1994・勁草書房)』
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ソ連大改革の試みで,ソ連社会主義の終りを導いた。1985年,共産党書記長になった52歳のゴルバチョフは,「グラスノスチ」と新思考外交によって改革への歩みを始め,86年,チェルノブイリ原発事故ののちに「ペレストロイカ(建て直し)」に乗り出した。しかし経済改革は難しく,政治改革が先行され,89年自由な選挙を実現し,90年にはゴルバチョフ大統領が実現した。民主化の進展のなかで,共産党の統制力が弱化すると,経済の混乱が増し,連邦構成共和国が自立化する動きが強まった。ゴルバチョフは経済改革の道を模索したが成功せず,連邦制を改良する努力が保守的な側近の反発を招き,91年クーデタを起こされた。これでペレストロイカが終わった。
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