音吉(読み)おときち

朝日日本歴史人物事典 「音吉」の解説

音吉

没年:1867.1.19(慶応2.12.14)
生年:生年不詳
近世尾張漂流民。尾張国知多郡小野浦村(愛知県美浜町)の出身。乙吉とも書く。天保3(1832)年に同村樋口重右衛門の持ち船宝順丸に少年船員として乗り組み,江戸へ航海中に漂流,生存者3人は1年後にアメリカ太平洋岸に漂着した。ハドソン湾会社社員に救出され,ハワイ,イギリス経由でマカオへ送られたが,同8年,モリソン号送還,浦賀と鹿児島で砲撃されて帰国を断念,船員などとして生活し,のちにイギリス市民権を得てジョン・W・オトソンと名乗り上海のデント商会勤務,最後はシンガポールで商人として没した。マカオで宣教師ギュツラフのヨハネ伝福音書日本語訳に協力,上海では日本人漂流民の送還に尽力した。イギリス海軍の通訳として長崎などに来航したこともあり,晩年には1862(文久2)年にシンガポールで日本の遣欧使節団とも会っている。

(春名徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「音吉」の解説

音吉 おときち

1821-? 江戸時代後期の漂流民。
文政4年生まれ。尾張(おわり)廻船宝順丸乗組員。天保(てんぽう)3年遠州灘で遭難し,5年北アメリカのフラッタリー岬に漂着。ロンドン,マカオをへて8年アメリカ船モリソン号で帰国するが,異国船打払令により砲撃される(モリソン号事件)。のち上海でデント商会に勤務,また嘉永(かえい)7年の日英交渉の際通訳をつとめる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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