順法寺城跡(読み)じゆんぽうじじようあと

日本歴史地名大系 「順法寺城跡」の解説

順法寺城跡
じゆんぽうじじようあと

[現在地名]むつ市城ヶ沢

位置不明。現在城ヶ沢じょうがさわ集落の東に城ヶ沢館遺跡があるが、関係は定かでない。「東北太平記」の伝えるところでは宝治三年(一二四九)安東盛親によって築かれ、正平三年(一三四八)には護良親王の遺児源良尹が根城南部氏六代信政に守られて入城したという。その子孫は代々北部王家と称されたが、文安五年(一四四八)当城主であった新田義純が蠣崎かきざき(現下北郡川内町)で釣遊漁中、遭難して家臣らとともに溺死するという事件が起こった。後この事件は義純の家臣蠣崎蔵人の陰謀であることが判明し、八戸政経(根城南部氏一三代)追討を受けるところとなった。蔵人は当城を奪取し、蠣崎城の支城にして抗戦したが、力及ばず、康正三年(一四五七)松前へ逃れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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