順風新田(読み)じゆんぷうしんでん

日本歴史地名大系 「順風新田」の解説

順風新田
じゆんぷうしんでん

[現在地名]宇佐市順風新田

高砂たかさご新田の西にあり、西端をくろ川が北流して周防灘に注ぐ。乙女おとめ村北方地先の周防灘を埋立て成立した新田で、当初は高砂新田順風分として開発された。同新田と同じく塩谷正義による見立新田で、引請人惣代は乙女村の円助。文政九年(一八二六)高砂新田と同時に着工し、天保三年(一八三二)までに堤防三三七間(海敷総石垣)を仕上げ、反別五町四反余、高五一石余を開発、検地も同年に行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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