須崎砲台跡(読み)すさきほうだいあと

日本歴史地名大系 「須崎砲台跡」の解説

須崎砲台跡
すさきほうだいあと

[現在地名]須崎市中町二丁目

文久三年(一八六三)土佐藩が須崎の海岸に設けたもの。建造に際し、須崎村には郷・浦とも一戸当り三人の出夫が申付けられ、高岡郡諸村には寄付を命じるとともに人夫を募り、一ヵ月半の突貫工事で完成させた。砲台はもと三基あり、現はま町二丁目には半円形の東砲台、現南古市みなみふるいち町には一文字形の中砲台があったが、のちに取壊された。

土佐藩砲台跡として国の史跡に指定されている現なか町二丁目の西砲台は、円形で外側に半円形の濠を巡らし、海側からは単なる堤防としかみえないように擬装してあったという。廃藩置県後、陸軍省用地となったが、明治四〇年(一九〇七)内務省移管に伴い須崎町が払下げを受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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