日本歴史地名大系 「須知村」の解説 須知村しゆうちむら 京都府:船井郡丹波町須知村[現在地名]丹波町字須知美女(びじよ)山(四八二・二メートル)の西方に位置し、東は上野(うえの)村・市森(いちもり)村、西は曾根(そね)村。村内を京街道が通り、街道の両側に集落が細長く並ぶ街村。地名は観応三年(一三五二)八月日付中津川秀家軍忠状(遠山文書)に「須智之城」とみえるのが早い。「園太暦」文和二年(一三五三)六月二日条には「丹波志宇智」とある。当地は国人須智氏の根拠地で、須智氏は「太平記」巻九の「足利殿着御篠村、則国人馳参事」に、元弘三年(一三三三)四月に足利尊氏が篠(しの)村(現亀岡市)で布陣したくだりに、「其外久下(くげ)・長沢・志宇知(しうち)・山(やまの) 内(うち)(中略)其外近国ノ者共、一人モ不残馳参リケル」と記され、市森の須智城に居城した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報