日本歴史地名大系 「領下村」の解説 領下村りようげむら 岐阜県:岐阜市旧厚見郡地区領下村[現在地名]岐阜市領下・石長町(いしながちよう)・市(いち)ノ坪町(つぼちよう)・木(き)ノ下町(したちよう)・細畑(ほそばた)一丁目上川手(かみかわて)村の東にあり、南は境(さかい)川で限られる。中央を東西に中山道が貫き、集落は同街道に沿い、一部は北西の堂前(どうまえ)・西領下にある。村名は領家に由来するともいう。慶長郷帳および元和二年(一六一六)の村高領知改帳に村名がみえ、高七〇九石余。正保郷帳では田三九八石余・畑三一一石余。初め加納藩領であったが、宝暦五年(一七五五)幕府領となり、安永四年(一七七五)大垣藩預所を経て享和三年(一八〇三)陸奥平藩領となり幕末に及んだ(岐阜県史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by