日本歴史地名大系 「頼元村」の解説 頼元村よりもとむら 岡山県:久米郡中央町頼元村[現在地名]中央町頼元東は西幸(さいこう)村、北は原田西(はらだにし)村で、南の北庄山手下(きたしようやまてしも)村(現久米南町)、西の上打穴里(かみうたのさと)村との境界をなす筒宮(つつのみや)山(四七六メートル)の東斜面にあり、道は東と北のみに通じる。正保郷帳では田方七五石余・畑方四九石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳の改出高二七石余・開高三石余。「作陽誌」の戸口は一六軒・九六人。領主の変遷は小原(おばら)両村と同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報