詳しくは文殊師利法王子(青年たるマンジュシュリー)菩薩。初期の大乗仏教経典において堅固な精神統一(首楞厳三昧(しゅりょうごんざんまい))の体現者、仏に説法を請願し対話の相手役を務める菩薩の代表者などとして現れる。とくに般若(はんにゃ)経典との関係は深く、仏滅後に実在した菩薩、または無限の過去にすでに悟りを得た仏の現れ、菩薩の父母とされ、初期般若経典の形成に直接関与した実在の人物を背景として理想化された菩薩であると推定されている。多数の大乗経典の成立に伴って、悟りの実践的側面を象徴する普賢(ふげん)菩薩と並んで、その知性的側面を象徴し、智慧(ちえ)の菩薩とみなされるようになる。図像上は釈迦仏(しゃかぶつ)の左脇侍(わきじ)として獅子(しし)に乗った姿で表現され、また密教の胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)では中台八葉院、金剛界(こんごうかい)曼荼羅の賢劫(けんごう)十六尊のなかにそれぞれ位置づけられる。中国では五台山が文殊の浄土とみなされ、それへの信仰が盛んになった。
[江島惠教]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中国山西省にある山脈の主峰五山を指す。《華厳経》の受持にともない,5世紀ころから文殊菩薩の住む清涼山にあたると信ぜられ,普賢菩薩の峨嵋山,観音の補陀落山とともに中国三大仏教聖地の一つとなった。浄土教の曇鸞(どんらん)がここに遊び聖跡に感じて出家した話は有名であるが,大塔院寺等いわゆる台中百ヶ寺の基礎が置かれたのも,このころである。…
…なかでも有名なのが山西省北東部にある五台山の巡礼であった。この山は,5世紀の北魏のころから《華厳経》にみえる文殊菩薩の住地たる清涼山にあたると信ぜられ,唐代になると,仏教界第一の霊地として中国ばかりでなく東アジアの全仏教界にその名を知られた。日本の僧侶も,唐代には玄昉(げんぼう)や円仁,宋代には奝然(ちようねん)や成尋などが,いずれも五台山巡礼を行っている。…
…中インド,バイシャーリーの長者ビマラキールティ(維摩詰,維摩)の病気を菩薩や仏弟子たちが見舞うが,みな維摩にやりこめられる。文殊菩薩のみが維摩と対等に問答をし,最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示す。全編戯曲的な構成のなかに旧来の仏教の固定性を批判し,在家者の立場から大乗の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。…
※「文殊菩薩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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