額田豊(読み)ヌカダ ユタカ

20世紀日本人名事典 「額田豊」の解説

額田 豊
ヌカダ ユタカ

明治〜昭和期の内科医学者



生年
明治11(1878)年3月23日

没年
昭和47(1972)年7月29日

出生地
岡山県

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治38年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正2年〕

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日中綬章〔昭和41年〕

経歴
東大青山内科に勤め、明治40年ドイツ留学、ミュンヘン大学で内科学、医化学を学ぶ。大正2年額田病院を創設、逓信省本省医務嘱託。9年鎌倉に額田保養院を創設、10年内閣社会事業調査委員。14年弟の晋とともに帝国女子医学専門学校(現・東邦大学)を創設、理事長。同年日本大学専門部医学科を創設、初代医学科長として昭和8年まで併任。25年東邦大学長、26年同大理事長、32年学長、理事長辞任。著書に「医化学講義」「内科臨床診断学」「安価生活法」「食物並嗜好品分析表」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「額田豊」の解説

額田豊 ぬかだ-ゆたか

1878-1972 明治-昭和時代の内科学者。
明治11年3月23日生まれ。ドイツのミュンヘン大に留学。帰国後,額田病院,額田保養院を創設。大正14年弟の額田晋(すすむ)とともに帝国女子医専(東邦大の前身)を創立,理事長。昭和25年東邦大学長,翌年理事長。昭和47年7月29日死去。94歳。岡山県出身。東京帝大卒。著作に「医化学講義」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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