飯守重任(読み)イイモリ シゲトウ

20世紀日本人名事典 「飯守重任」の解説

飯守 重任
イイモリ シゲトウ

昭和期の裁判官 元・鹿児島地家裁所長



生年
明治39(1906)年8月13日

没年
昭和55(1980)年11月5日

出身地
佐賀県

学歴〔年〕
東京帝大独法科〔昭和5年〕卒

経歴
満州国奉天高等法学院審判官、昭和19年新京高等法院庭長審判官、33年東京地裁判事などを経て、39年鹿児島地家裁所長に就任。在任中はタカ派的言動で数多くの物議をかもしたが、昭和44年「平賀書簡」問題に関連し、青年法律家協会を批判、さらに天皇制や青法協の是非について判事らに公開質問状を出したことで所長を解任され、45年自ら辞任した。47年京都産業大教授。敗戦後はソ連に抑留され31年帰国。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯守重任」の解説

飯守重任 いいもり-しげとう

1906-1980 昭和時代の裁判官。
明治39年8月13日生まれ。田中耕太郎の弟。満州国司法部参事官などをつとめる。ソ連,中国に抑留され,昭和31年帰国。33年東京地裁判事。36年の嶋中(しまなか)事件の際,私的見解を発表し,最高裁長官から注意処分をうける。鹿児島地方・家庭裁判所長在任中の44年平賀書簡を擁護し,45年裁判官の思想調査をこころみ,所長を解任された。子供に文化功労者の指揮者・飯守泰次郎。昭和55年11月5日死去。74歳。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「飯守重任」の解説

飯守 重任 (いいもり しげとう)

生年月日:1906年8月13日
昭和時代の裁判官。鹿児島地家裁所長
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android