出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
大正・昭和期の法学者,政治家,裁判官 東京大学名誉教授;最高裁長官;文相;参院議員(緑風会)。
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商法学者,法哲学者。鹿児島市生れ。1915年東大卒。17年同助教授,23年教授として商法,法理学などを担当。青年期,内村鑑三の無教会主義に属したが,やがてそれに疑問を抱いて26年カトリックに改宗した。第2次大戦後は教育行政に転じ,45年文部省学校教育局長,46年文部大臣,同年貴族院勅選議員となった。47年参議院全国区より立候補して当選,緑風会に属し文教委員長。また教員検定委員会委員として教職追放の実施にあたった。50-60年最高裁長官。60年国際司法裁判所判事となり9年間の任期を務めた。商法の特質を〈商的色彩〉に求める理論を唱えたほか,商法の技術的性格のゆえに各国の商法がやがて同一内容を持つに至るとして世界法の可能性を主張した。また,カトリック自然法論の立場からの文明批判,マルクス主義批判など多くの独創的主張を唱えた。最高裁判事としては尊属殺事件,三鷹,松川,砂川事件などで革新勢力と対立した。60年文化勲章受章。著書は《世界法の理論》全3巻(1932-34)をはじめ,《法律学概論》《教育基本法の理論》など多数。
執筆者:長尾 龍一
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法学者。鹿児島県生まれ。東京帝国大学法科大学独法科卒業。商法、法哲学の分野における業績が多い。とくに商法本質論における『商的色彩論』は有名。自然法主義の法哲学を基礎として、現存する法秩序体系を分析総合し、世界人類社会に普遍的な法の統一可能性を探究した『世界法の理論』三巻は、名著として評価が高い。また東京帝国大学教授、同法学部長のほか、1946年(昭和21)第一次吉田内閣の文部大臣、勅選貴族院議員、参議院議員を経て、50年最高裁判所長官に就任、司法権の独立を強調して「裁判批判」を戒めた。また、国際司法裁判所判事としても活躍した。カトリック信者であり、『法と宗教と社会生活』『善き隣人たれ』など宗教・芸術・教育などに関する著書、論文も多い。
[戸田修三]
『鈴木竹雄編『田中耕太郎――人と業績』(1977・有斐閣)』
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…第5に,戦前の教育立法の勅令主義にかわり,国民の代表者からなる議会において制定するという,教育立法の法律主義の原則にしたがって制定されている。 本法を発意し推進したのは,1946年5月に文部大臣に就任した田中耕太郎である。同年6月,田中文相が憲法改正議会において教育根本法の構想を明らかにしたのち,文相の意を受け,田中二郎参事が文部省のスタッフを指導して立案に当たった。…
…ツィーテルマンおよび彼の後継者クラインPeter Kleinが論じた世界法とは国際的に統一された内容をもつ私法のことである。日本の代表的商法学者の一人でありカトリック自然法論の唱道者でもある田中耕太郎はその大著《世界法の理論》(全3巻,1932‐34)と《続世界法の理論》(全2巻,1972)において,独自の世界法論を展開したが,彼の世界法概念は普遍人類共同体としての世界社会を規律するいっさいの法を意味し,いわゆる〈統一法〉だけでなく,法の抵触や国籍の抵触を処理する国際私法,さらに国際法をも含む。田中の世界法論は主権国家秩序を超えた普遍人類的基盤に立つ世界社会の法が,単なる理念にとどまらず,部分的には現実的に存在することを主張する。…
※「田中耕太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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