飯田新町
いいだしんまち
[現在地名]甲府市寿町・宝二丁目
西青沼町三丁目の西へ家続きに位置するが、往還通りにわずか二五間の長さで西青沼村が入る。下府中二三町には属しない新開の町で、単に新町とも称する。西は荒川までで、北は穴切。地籍上は上飯田村に含まれ、「甲斐国志」によれば穴切・新町ともに同村の枝郷としているが、城下の町続きであったことからしだいに町場化したもので、事実上独立した町となった。寛文一三年(一六七三)の宿取書上(県立図書館蔵)に飯田新町の名がみえる。町の規模は東西四町余。天保七年(一八三六)の天保騒動では町内で穀屋・小間物屋など三軒が打毀されている(「御用日記」坂田家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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