西青沼村
にしあおぬまむら
[現在地名]甲府市宝一―二丁目・丸の内二―三丁目・寿町・相生一―二丁目
甲府城下南西にある。荒川東岸の青沼郷が、文禄年間(一五九二―九六)の甲府築城に伴う一蓮寺の移転などで、北山筋の当村と万力筋の東青沼村とに分れて成立した。慶長一一年(一六〇六)以降に南東の一部が城下に組入れられて西青沼町となったが、享保一〇年(一七二五)の願書(県立図書館蔵)によれば、寛永年中(一六二四―四四)から当村と西青沼町は宗門改帳・五人組帳の作成をはじめ何事も一致して行い、地方御用・町方御用を勤めたという。南北に長い村で、東は田町など郭外の侍屋敷、北は相川町に接し、甲州道中が北寄りを東西に貫通する。往還は西青沼町と上飯田村分の飯田新町に挟まれた二五間が当村分で、両側に家居が並ぶ。往還の北側上飯田村との境には穴切大神社がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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