日本歴史地名大系 「飯田河原古戦場跡」の解説 飯田河原古戦場跡いいだがわらこせんじようあと 山梨県:甲府市旧山梨郡地区上飯田村飯田河原古戦場跡荒(あら)川沿岸の現甲府市飯田(いいだ)・池田(いけだ)・千塚(ちづか)地区、および現中巨摩郡敷島(しきしま)町島上条(しまかみじよう)一帯に比定される。大永元年(一五二一)武田信虎の軍勢が駿河今川氏親の将福島兵庫正成の軍を迎え撃ち、これに大勝した合戦の戦場となった。この年二月二七日駿河勢は甲斐へ侵入(王代記)、富士川沿いに河内(かわうち)を経て北上したらしく、同月一六日大井氏の富田(とだ)城(現甲西町)を攻略(高白斎記)。さらに進んで登美(とみ)(現双葉町)の竜地(りゆうじ)台地に陣を構え、信虎の軍と荒川を挟んで対峙したとされる(甲斐国志)。信虎方は国人層の離反により劣勢であったが、一〇月一六日府中飯田での合戦で勝利し、敵一〇〇余人を討取った(高白斎記・王代記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by