日本歴史地名大系 「飯羽間村」の解説 飯羽間村いいばまむら 岐阜県:恵那郡岩村町飯羽間村[現在地名]岩村町飯羽間富田(とみだ)川と飯羽間川が合流し、土地は潤い肥沃である。丘陵上にいくつかの古墳群が存在する。南は岩村・富田村に接し、北部では岩村川は峡谷をなす。慶長六年(一六〇一)以後幕末まで岩村藩領。慶長郷帳に「飯はさま村」とあり、高一千二九三石余。正保郷帳では田方一千五六石余・畑方九六石余、無地高一四〇石余とある。助郷は中山道大井(おおい)宿(現恵那市)に出た。村内は上・中・下の飯羽間村と根上(ねのうえ)村の四ヵ村に分れていた。岩村との間の山林は入会山として共同管理され、境界が明瞭でなかったため、境界紛争がおきている(岩村町史)。明治五年(一八七二)の村明細帳によれば、上飯羽間村は高二四〇石余(うち田高二二九石余・畑高一一石余)、新田高五石余、家数三九〇、人数男八三四・女八七一、馬六〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by