餅なし正月
もちなししょうがつ
家例として正月用の餅を搗(つ)かず、または餅を食べないという禁忌。餅精進(もちしょうじん)ともいう。特定の家や一族で守られており、もし餅を搗くと血が混じるなどという。先祖が戦(いくさ)に負けて落ち延びてきたのが大晦日(おおみそか)で、餅を搗く暇がなかったなどの由来譚(たん)を伴う。日本の農業は弥生(やよい)時代から稲作を取り入れ、米を主食とする方向に進み、また儀礼食としては餅を重視してきたが、稲作以前の形態も一部に根強く残っていた。焼畑耕作による雑穀やいもの利用である。雑煮(ぞうに)にしてもサトイモを重視する例がある。正月には餅を用いることが一般化したため、古風を守っている家々が例外視されるようになったのである。
[井之口章次]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の餅なし正月の言及
【いも(芋∥薯∥藷)】より
…しかし米を中心にした日本の農民史や食物史などでは,その意義について十分に研究が進んでいない。〈餅なし正月〉の民俗や,滋賀県蒲生郡日野町中山で9月1日におこなわれる〈芋くらべ祭〉,岡山県新見市代城の倉嶋神社でおこなわれる旧暦9月19日の祭りなどの分析によって,日本の非稲作文化の実態が明らかになることであろう。【坪井 洋文】。…
【サトイモ(里芋)】より
…食用とするサトイモ科の多年草(イラスト)。インド東部からインドシナ半島部にかけての地域が原産地であり,古く稲作の渡来以前に日本でも栽培されていたと考える人もある。茎は地中にあってほとんど伸びず,肥大して塊茎(いも)(イラスト)となる。葉は長さ1~1.5mの葉柄(ずいき)を直立し,葉身は楯形,卵円あるいは心臓形で,長さ30~50cm,幅25~30cm。表面が滑らかで水をはじく。地上に抽出した長い花茎の先に肉穂花序をつけ,仏焰苞(ぶつえんほう)に覆われる。…
【雑煮】より
…雑煮餅ともいい,野菜,魚貝,鳥肉などを具にした汁に餅を入れて煮た料理。いろいろの材料をまぜて煮るための名で,別に〈亨雑(ほうぞう∥にまぜ)〉とも呼んだ。現在では正月三箇日の祝膳に用いられるが,この風習は室町末期ころ成立したものらしい。雑煮,雑煮餅の語はそれより古く室町前期から見られ,おもに儀礼的な酒宴の初献(しよこん)に用いられていた。伊勢貞丈は,初献に餅を煮て勧めるのは〈臓腑を保養する〉ためで,亨雑は〈保臓〉だとしている。…
【畑作】より
…そこで水田稲作農業の発展は畑作農業に負っていた面もあることを評価する必要があり,両者の文化の比較が要請されてくるのである。例えば,平地の水田稲作地帯では正月に[餅]をついて神仏に供えたり人々も儀礼食として重視するのに,山地などの畑作地帯では餅以外の[里芋]やソバなどの根茎作物や雑穀が供物や儀礼食物として重視され,正月に餅を禁忌とする(餅なし正月)ところがあるのは,栽培する作物による文化的次元の価値体系が異なることを示している。また,水田稲作地において最も重視されるのは〈稲の種子〉であり,それを祭祀することにより豊作が保障されるものとして,多彩な儀礼がみられるのが特色であるのに対して,畑作地帯においては種子の神聖視は認められず,山を占有するとされる[山の神]と〈土壌の豊穣(ほうじよう)性〉を重視する観念が認められる。…
【餅】より
…近世以降から都市や街道筋などで餅やだんごが売られ,とくに力餅といって旅行者などに人気があった餅は,稲霊の信仰が強く影響したものと考えられるが,同時にうどん,そばをはじめとして,各地の名産に混ぜ餅が伝えられているのは,日本における食文化の多様性を物語るものであろう。また一方で,〈餅なし正月〉といって正月に餅を搗かない習俗も各地に見られる。餅菓子については〈[和菓子]〉の項目を参照されたい。…
※「餅なし正月」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」