日本大百科全書(ニッポニカ)「雑煮」の解説
雑煮
ぞうに
魚貝、野菜など数種の材料を煮合わせた汁に餅(もち)を加えた羹(あつもの)。雑煮餅ともいう。主として正月三が日の祝い膳(ぜん)に用いる。雑煮とはごった煮の意であるが、古く上方(かみがた)では五臓を保養するものとして保臓(ほうぞう)とよんだ。四条流園部(そのべ)派で臓煮の字をあてるのもこの例。宮中の女房詞(ことば)では烹雑(ほうぞう)(ぼうぞうともいい、烹は煮るの意)といった。
もともと神祭に供えた神饌(しんせん)を下げて、神と氏子など参加者が共食する「直会(なおらい)」に起源をもち、さらにそれが年頭の年神迎えの供物を食べることをさすようになった。九州各地で正月の雑煮をナオライあるいはその訛語(かご)でよぶのはこのためである。餅については、年始に鏡餅、大根、瓜(うり)、猪(いのしし)や鹿(しか)の肉などを食べて長寿を願う歯固(はがた)めの行事が古くからあり、これがのち雑煮に加えられるようになったのであろう。
雑煮に用いる箸(はし)は柳が多く用いられ、中太で両端を細く削ってある。その由来は、足利(あしかが)7代の幼将軍義勝(よしかつ)(1434―43)のとき、元朝儀式の箸が折れ、その7月には落馬により夭折(ようせつ)したため、以後太箸に改めたことによるという。江戸時代、浅草の市(いち)では雑煮箸を「おかんばし」とよんで売っていたが、これは上方や新吉原の廓(くるわ)内に残っていた雑煮の古称「羹(かん)」(あつもの)によるものである。箸袋は、家族それぞれ、鶴(つる)、亀(かめ)、松竹梅などの文字を書き、父が鶴で母が亀などと定めていた。
朝鮮半島でも正月に餅とスープのトックッ(湯餅(タンピョン))を食べる。雑煮のようなものである。
[多田鉄之助]
種類
雑煮は関東風と関西風に大別できるが、その地方に産するものをおもに用いるため各地各様のものがあって、その種類は著しく多い。関東風は澄まし汁仕立てで、鶏肉か鴨(かも)肉、小エビ、かまぼこ、ゴボウ、コマツナまたはホウレンソウ、ダイコン、サトイモ、シイタケなどに切り餅を焼いて加える。のりを添えることもあり、吸い口に切りユズを散らすのが原型である。関西では京都のものが古い歴史があり、関西風の代表型ともいえる。白みそ仕立てで丸小餅を湯煮して用いる。ヤツガシラ、ダイコン、焼き豆腐などを加え、花がつおを散らす。細かく切った塩ブリを加えることもある。みそ仕立ての雑煮は、大阪、神戸、岡山とほぼ同じ形態である。岡山には澄まし汁仕立てもあるが、これより西は澄まし汁仕立てが多い。関東の雑煮にみそを用いないのは、武士が「みそをつける」ということばを嫌ったためという説がある。また、京都でヤツガシラを用いるのは、人の頭にたてという意もあるが、ことばよりも味本位で、これが材料に用いられている。
各地の雑煮の特色をあげると、北海道は澄まし汁仕立ての汁に、サケの切り身とすじこをいっしょに加え、ハクサイを用いる。切り餅の白さとサケの赤みの対照がいい。秋田、山形の雑煮にはすじこを入れ、焼き豆腐を短冊形に切って加える。つきたての餅を水に浸して水餅にし、必要に応じて取り出して使う。東北地方で異色の雑煮は仙台のものである。ハモの焼き干し、削りかつお、干しタコの三つを用いてだしをとるが、簡単な方法としては焼き干しのハゼを用いる。ゴボウ、ダイコン、ニンジンに特産の仙台ハクサイを入れてつくる。福井の雑煮は薄切りのカブを葉とともに加えるのが特色で、古くはみそ仕立てであったが、いまは澄まし汁仕立てのものもある。
名古屋の雑煮は、高名に通じるの意からタカナを用いる。奈良の雑煮はみそ仕立てで、のし餅の角切りを焼いて加える。広島の雑煮は澄まし汁仕立てで、汁の濁るのを嫌う。名産のカキを用いることもあるし、ブリの切り身を使うこともある。山口の雑煮は澄まし汁仕立てで、小餅を焼いて加え、大きいブリの切り身をゆでて用いる。これにサトイモ、白髪(しらが)昆布を少々加えるのが特色といえる。四国では、香川県高松の餡(あん)入りの丸餅雑煮が風変わりである。愛媛県の松山では、小判形の餅を焦げないように焼いて入れ、ミズナを加えて澄まし汁仕立てにする。
九州では博多(はかた)の雑煮が変わっている。椀(わん)に大きな切り餅と塩ブリの切り身が入り、椀の底には輪切りのダイコンが敷いてある。熊本ではスルメと昆布のだしで澄まし汁仕立てにし、焼き豆腐、ダイコン、ニンジン、ゴボウに湯煮した丸小餅を用いる。鹿児島では干しエビをだしに用いるので、12月に入ると各戸の前に正月用のエビを乾燥させているのをみることができる。長崎の雑煮はお鰭(ひれ)吸い物といって、タイの切り身やクルマエビ、ナマコなどが入る豪華なものである。雑煮は全国それぞれの特色があり、各戸でも多少の相違はあるが、消化がよく栄養価の高いものが多い。
[多田鉄之助]