日本歴史地名大系 「養徳院」の解説
養徳院
ようとくいん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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…泰政から9代目の教依(のりより)の妻は,楠木正行に嫁いでそのたねを宿して正行の戦死後に教依に再嫁したといわれるから,教依の子教正は正行の遺腹の男とされ,ここに池田氏の楠胤説がうまれた。教正から5代目の紀伊守恒利は織田信秀に仕え,その妻養徳院は1536年(天文5)信秀の子信長の乳母になった女丈夫である。恒利の子恒興(信輝)は幼時から信長に仕え,尾張国犬山,摂津国大坂などに在城し,ついで秀吉に味方して美濃国大垣城主(13万石)となったが,84年(天正12)長久手の戦で嫡子之助とともに討死した。…
…《寛政重修諸家譜》などは信輝とするが,この実名は確実な史料には見えない。母養徳院は織田信長の乳母。織田氏の諸征服戦に従軍,とくに1580年(天正8)摂津の荒木氏を攻めて勲功をたて,同国内で領知を与えられ,高山・中川・安部・塩川・伊丹衆を与力とし,翌年摂津軍団を率いて因幡鳥取城攻略の助勢を命ぜられた。…
※「養徳院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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