養老館跡(読み)ようろうかんあと

日本歴史地名大系 「養老館跡」の解説

養老館跡
ようろうかんあと

[現在地名]津和野町後田

津和野藩の藩校。八代藩主亀井矩賢が天明六年(一七八六)城下下中島しもなかじま(藩邸のほぼ対岸の地)に創設。嘉永六年(一八五三)の大火後、翌安政元年(一八五四)殿との(現在地)に再築を始め、同二年完成した。この時の旧槍術教場・旧剣術教場(現津和野町民俗資料館)書庫・門が現存し、県指定史跡になっている。

天明五年当時、藩財政は窮迫していたが、藩主矩賢は藩運挽回を期して文武教育の振興を打出した。藩学の中心として飯岡澹寧門下の山口剛斎を招聘馬廻に列して藩学創建にあたらせた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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