朝日日本歴史人物事典 「養阿」の解説
養阿
生年:生年不詳
江戸中期の木食僧。丹波国保津村(京都府)の武士の家に生まれる。俗名,村上茂八郎。木食正禅,木食養阿などと称した。24歳のとき,泉涌寺雲竜院の恵雄について出家し,朋厚房正禅と名乗った。正徳1(1711)年,五穀を断ち,木の実や草などを食して修行する木食行を志して,高野山に上った。木食恵昌に師事して木食行に励んだのち,下山し,京都七条の梅香庵を住まいとして,念仏聖の活動に専念した。享保4(1719)年,京都周辺を勧進して,阿弥陀如来像を造立し,東山真如堂に安置した。同10年には乙訓郡大藪村にあった廃寺,安祥院を京都五条坂の地に再興した。その後,元文3(1738)年に完成した日岡峠の改修工事をはじめとして,渋谷街道の修築工事,また石橋の架設や寺社の敷石など,多くの土木工事を勧進によって達成している。寛保1(1741)年に,法橋上人位を授与されたのを機に,養阿と名を改めた。<参考文献>柴田実『安祥院と木食養阿上人』
(川村邦光)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報