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養阿 ようあ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

養阿 ようあ

?-1763 江戸時代中期の僧。
京都泉涌(せんにゅう)寺で出家,はじめ正禅と称した。高野山にのぼって木食行をつみ,京都を中心に念仏勧進につとめる。一乗寺狸谷(たぬきだに)不動院の創建,真如堂の金銅阿弥陀仏造立,安祥院の再建,さらに日岡(ひのおか)峠の改修工事などをおこなった。宝暦13年11月21日死去。丹波保津村(京都府)出身。俗名は村上茂八郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

養阿

没年:宝暦13.11.21(1763.12.25)
生年:生年不詳
江戸中期の木食僧。丹波国保津村(京都府)の武士の家に生まれる。俗名,村上茂八郎。木食正禅,木食養阿などと称した。24歳のとき,泉涌寺雲竜院の恵雄について出家し,朋厚房正禅と名乗った。正徳1(1711)年,五穀を断ち,木の実や草などを食して修行する木食行を志して,高野山に上った。木食恵昌に師事して木食行に励んだのち,下山し,京都七条の梅香庵を住まいとして,念仏聖の活動に専念した。享保4(1719)年,京都周辺を勧進して,阿弥陀如来像を造立し,東山真如堂に安置した。同10年には乙訓郡大藪村にあった廃寺,安祥院を京都五条坂の地に再興した。その後,元文3(1738)年に完成した日岡峠の改修工事をはじめとして,渋谷街道の修築工事,また石橋の架設や寺社の敷石など,多くの土木工事を勧進によって達成している。寛保1(1741)年に,法橋上人位を授与されたのを機に,養阿と名を改めた。<参考文献>柴田実『安祥院と木食養阿上人』

(川村邦光)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の養阿の言及

【木食上人】より

…肉類,五穀を食べず,木の実や草などを食料として修行することを木食といい,その修行を続ける高僧を木食上人といった。高野山の復興に尽くした安土桃山時代の応其(おうご)(木食応其)は,広く木食上人の名で知られるが,江戸時代前期には摂津の勝尾寺で苦行を続け霊験あらたかな僧として知られた以空(いくう),中期には京都五条坂の安祥院中興の祖となった養阿,江戸湯島の木食寺の開基として知られる義高,後期には特異な様式の仏像を彫刻して庶民教化に尽くした五行(木喰五行明満)があらわれるなど,木食上人として崇敬された高僧は少なくない。木食は苦修練行の一つで,それを行うことによって身を浄め,心を堅固にすることができるとされたが,経典や儀軌の中に木食の典拠は見いだせない。…

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