不動院(読み)ふどういん

精選版 日本国語大辞典 「不動院」の意味・読み・例文・類語

ふどう‐いん ‥ヰン【不動院】

広島市東区牛田新町にある広島県真言宗教団の寺。山号は新日山。新山安国寺と号する。天平二年(七三〇)行基の創建と伝えられ、はじめ蓮花王寺と呼ばれたが、暦応二年(一三三九足利尊氏が安芸国安国寺として再興。文祿三年(一五九四)瑤甫恵瓊(ようほえけい)が現在の同市中区中町に移して国泰寺となり、旧跡を不動院と呼ぶ。金堂は国宝。

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日本歴史地名大系 「不動院」の解説

不動院
ふどういん

[現在地名]東区牛田新町三丁目

太田おおた川を隔てて西に武田たけだ(安佐南区)を望み、山を背にした地にある。新山安国あんこく寺と号し、広島県真言宗教団。「新山雑記」には空窓の開基ということ以外、創建年代や宗派さえ不明であると記す。金堂本尊薬師如来像は藤原期のもので、遅くとも平安時代には存在していたと考えられる。

南北朝時代足利尊氏が国ごとに安国寺を置いた時、この寺が安芸国安国寺にあてられ、臨済宗になった。「東福寺甲刹記」によると安芸国安国寺は康暦二年(一三八〇)当時、景陽山安国寺と称していて、京都五山東福寺の屈指の末寺であった。その後大永年間(一五二一―二八)に兵火に遭って荒廃したが、これを中興したのが安国寺恵瓊である。恵瓊は武田氏最後の当主信実の遺子と伝える。武田氏滅亡の時まだ竹若丸と称し、安芸国安国寺に身を寄せていたが、竺雲恵心の弟子となって東福寺で修行、永禄一二年(一五六九)までに安芸国安国寺住持となっている。

不動院
ふどういん

[現在地名]高野町高野山

往生院おうじよういん谷から南に延びる西にし谷の通りの西にある。準別格本山。本尊不動明王。古くは聖方に属した。「続風土記」には嵯峨天皇の皇子が大師堂以下一二坊を建てて菩提心ぼだいしん院と号したのに始まり、東寺長者済高が居住して月上がつじよう院ともいったとあり、不動院・妙法院・松雲院・吉祥院を菩提心院というとみえ、菩提心院は西谷の総称でもあった。

不動院
ふどういん

[現在地名]江戸崎町江戸崎

小野おの川を見下ろす台地にある。医王山東光寺と号し、天台宗系単立。本尊は不動明王。寺伝によれば、嘉祥元年(八四八)慈覚大師の開山。文明二年(一四七〇)に幸誉によって伽藍が整備された。大檀那は江戸崎城主土岐原(土岐)治英。四世幸憲の時に天台宗延暦寺が真言宗東寺門下の僧が素絹衣を用いたとして朝廷に訴えた絹衣争論が起こり、天文二四年(一五五五)七月一六日に不動院に宛てた後奈良天皇の次の綸旨(「綸旨写」不動院文書)が出され、一応争論は治まった。

<資料は省略されています>

天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉から寺領を与えられ、蘆名盛重が江戸崎城主になると、寺内を修復し、八世に天海を迎え、天海は一七年間在住した。

不動院
ふどういん

[現在地名]津島市良王町

雲居うんご寺と道を隔てた東側にあり、延享五年(一七四八)の村絵図では米之座こめのざ町の域内にある。享徳三年(一四五四)の附法状写(当寺蔵)に「国中希有ノ古場也」とあるが、現在は民家に取囲まれた単立の小寺院。昭和二九年(一九五四)までは真言宗智山派。本尊は不動明王立像。

山号・寺号は応永七年(一四〇〇)に松鼻山甘露王かんろおう(仏殿前机裏書)、享徳三年に松鼻山大聖だいしよう(附法状写)、永正一五年(一五一八)正覚しようがく(政長上人棟札写)、天文三年(一五三四)清泰せいたい(鰐口刻銘)、天文一〇年に清泰寺正覚院(政光上人請状)、寛文三年(一六六三)に松尾山清泰寺不動院(十世盛専上人棟札写)と変遷がみられる。

不動院
ふどういん

[現在地名]大和高田市本郷町

JR高田たかだ駅南方、本郷ほんごう町の西部にあり、俗に大日だいにち堂ともいわれる。金輪山と号し、真言宗御室派。本尊は大日如来(藤原時代)。脇侍は千手観音弘法大師像。本堂は桁行五間・梁間四間、一重寄棟造・本瓦葺で、棟木の銘によって文明一五年(一四八三)高田城(現大和高田市)城主当麻為長の建立にかかるものといわれ、国指定重要文化財。棟札には「奉建立上棟大和国葛下郡高田郷薩摩証菩提寺本堂一宇 文明拾五稔癸卯七月十二日大願主当麻雅楽佐為長(中略)大工橘成次(中略)一結衆等各々敬白」という墨書銘があり、当院がかつて金輪山遍照院証菩提しようぼだい寺の子院であったこととともに、高田氏の出自が当麻氏であることが推察される。

不動院
ふどういん

[現在地名]伊奈村板橋

板橋いたばし集落北部に所在。清安山と号し真言宗豊山派。本尊不動明王および二童子立像の三体は国指定重要文化財。本堂(不動堂)・楼門・三重塔は県指定文化財。寺伝によれば大同年間(八〇六―八一〇)空海が開山し、康暦年間(一三七九―八一)祥海阿闍梨の入山を得て隆盛をみ、七堂伽藍を建立したが、嘉吉三年(一四四三)に兵火で焼失。のち月岡氏の外護によって堂舎が再建されたが天正年中(一五七三―九二)に再び兵火に遭った。

不動院
ふどういん

[現在地名]山添村大字春日

中央山竜厳寺と号し、高野山真言宗。本尊不動明王は鎌倉時代の作。元亀―天正年間(一五七〇―九二)長音が大西おおにし(現山添村)にあった安楽あんらく院を当地に移したのに始まるという。

不動院
ふどういん

[現在地名]秋田市八橋字八橋

八橋やばせ街道に面する。真言宗智山派、八橋山と号し、本尊は青面金剛童子。寛文五年(一六六五)藩主佐竹義隆が庚申尊を勧請して開基。

不動院
ふどういん

[現在地名]松阪市大石町

櫛田くしだ川の左岸、和歌山街道に沿って境内があり、景勝の地となる。山号は石勝山。寺号は金常きんじよう寺。真言宗山階派。本尊石造不動明王は弘法大師作と伝える。弘法大師の開基で石勝山不動院と号したとされる。境内に不動滝があり、滝の水が首から上の病気に効くといわれている。境内の東寄りに炮烙岩がある。高さ二七メートル、幅三・八メートルの巨岩であるが、この岩にムカデランが群生し、不動院ムカデラン群落として国指定天然記念物となっている。

不動院
ふどういん

[現在地名]青山町羽根

羽根はね集落南方の丘陵の中、羽根橋より川上かわかみへの旧道を少し入った所にある。「三国地志」に「不動瀑布羽根村、按、赤田渓ノ流ナリ、石面ニ不動ヲ刻ム。又五輪石アリ」と記す。渓流に高さ四メートル余の滝があり、その近くの岩面に刻まれた不動明王を祀る。

不動院
ふどういん

[現在地名]多気町鍬形

鍬形くわがた集落入口高台にあり、裾を初瀬はせ(伊勢)本街道が走りその下を櫛田くしだ川が流れる。風光明媚で近くに不動の滝がある。真言宗醍醐派。本尊不動明王。鰐口には貞享四年(一六八七)の銘がある。

不動院
ふどういん

[現在地名]土浦市中央一丁目

中城なかじよう町の東側にある。真言宗豊山派、中条山光福寺と号し、本尊は不動明王。寺伝によれば永享年間(一四二九―四一)に若泉氏の開山。安永九年(一七八〇)に隆善が不動堂・山門を再建した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「不動院」の意味・わかりやすい解説

不動院
ふどういん

広島市東区牛田新町にある寺。広島県真言宗教団に属する。新山(にいやま)安国寺(あんこくじ)と号する。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。開創は平安時代にさかのぼり、開基は空窓と伝えるが不詳。南北朝期に足利尊氏(あしかがたかうじ)が諸国に安国寺を設けたとき、当寺を臨済宗に改めて安芸(あき)国安国寺としたといわれる。その後荒廃したが、大永(たいえい)年間(1521~28)、安芸武田氏から出た安国寺恵瓊(えけい)が中興。恵瓊は毛利輝元(もうりてるもと)の信任を得るとともに、豊臣(とよとみ)秀吉にも評価が高く、1591年(天正19)には秀吉から1万1500石余の寺領を受けた。文禄(ぶんろく)の役(1592)では朝鮮にも従軍し、そこから持ち帰った材木で楼門(国重要文化財)を建造した。また高麗(こうらい)初期作の朝鮮鐘(国重要文化財)もそのときの将来品と伝える。恵瓊は関ヶ原の戦いで西軍に味方して処刑され、1601年(慶長6)に安国寺に入った宥珍(ゆうちん)の代に真言宗に改宗、不動院とよばれるようになった。金堂(国宝)は周防(すおう)山口にあった大内義隆(よしたか)建立の仏殿を移したものと伝える禅宗様建築である。平安期作の本尊薬師如来坐像(ざぞう)、室町期建立の鐘楼がともに国重要文化財となっている。

[水谷 類]


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百科事典マイペディア 「不動院」の意味・わかりやすい解説

不動院【ふどういん】

広島市にある広島県真言宗教団の寺。創建年は不詳だが,本尊薬師如来像は藤原期のもの。南北朝期に安芸(あき)国安国(あんこく)寺(安国寺・利生塔)に当てられ,臨済宗になった。大永(だいえい)年間(1521年―1528年)兵火に遭い荒廃。安国寺恵瓊(えけい)の中興後,毛利氏の外護で隆盛した。恵瓊没後,真言宗に改宗,不動院と称した。金堂は周防山口にあった大内義隆(よしたか)建立の仏殿を恵瓊が移したと伝え国宝。朝鮮木で建立した楼門,1433年創建の鐘楼と銅製梵鐘,本尊は重要文化財。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「不動院」の意味・わかりやすい解説

不動院
ふどういん

広島市東区牛田新町にある真言宗の寺。新日山安国寺と号す。行基菩薩が天平2 (730) 年に建てた蓮華王寺の跡を,足利尊氏が安芸の安国寺として再興。国宝の金堂は室町時代の建築で本尊は薬師如来。鐘楼に朝鮮式の鐘がある。

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デジタル大辞泉プラス 「不動院」の解説

不動院

広島県広島市東区にある真言宗の寺院。足利尊氏・直義兄弟が全国に建てた安国寺のひとつ。1540年に建てられた金堂は国宝、鐘楼、楼門などは国の重要文化財に指定されている。

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