館林御領分郷配当帳(読み)たてばやしごりようぶんごうはいとうちよう

日本歴史地名大系 「館林御領分郷配当帳」の解説

館林御領分郷配当帳(分郷配当帳)
たてばやしごりようぶんごうはいとうちよう

一冊

成立 天和二年

原本 群馬県太田市川田孝平氏

解説 表紙に天和二年とあり、本文に「綱吉公御嫡 徳松君依薨逝、御領分配当村々組合之記」と注記されているが、徳松の死去は同三年閏五月のことであり、また記されている岡部丹波守勝政・坂本右衛門佐重治・水野長門守忠顕らは同二年四月二一日に加増されており、本文の注記のとおりには理解できない。しかし記されている所領関係は天和二年四月時点でのものであることは間違いない。おそらくは延宝八年に館林藩主徳川綱吉将軍となってのち、同藩領は幕府領となり、天和二年四月に至って旗本諸士に宛行われ、この時の所領関係を記したのが当配当帳であろう。上野・下野一五万石のうち一一万五千石について、二〇七人の給人別に知行地を記す。下野国では簗田郡のほぼ全域、足利郡南部、安蘇郡中部の村名がみえる。

活字本太田市史」史料編近世一


館林御領分郷配当帳(分郷配当帳)
たてばやしごりようぶんごうはいとうちよう

一冊

成立 天和二年

原本 太田市川田家

解説 徳川綱吉が将軍となったのち館林藩を継いだ子の徳松が天和二年に没したため、収公された上野・下野両国の城付一五万石のうち一一万五千石の新給人への給地を記す。二〇七人の給人別に高と給地が記され、二十数給に及ぶ村もあって、以後、東毛地域は相給の村が多くなる。

活字本 「太田市史」史料編近世一

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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