首里城火災(読み)しゅりじょうかさい

知恵蔵 「首里城火災」の解説

首里城火災

2019年10月31日未明に首里城で起きた火災。首里城は沖縄県那覇市にある琉球王国時代の王城を復元したもので、木造3階建ての正殿から出火し、北殿、南殿などに延焼鎮火には昼ごろまでかかった。この火災で、6棟の建物が全焼、1棟が半焼するとともに、多数の展示品などが焼失した。
首里城は14世紀前後の創建と考えられ、三山を統一して琉球王朝を開いた尚氏の居城となり、第二尚氏時代も引き続き使われた。この間、数度の火災で焼失と再建をくり返した。後の復元のモデルとなった建物は18世紀初めのもので、明治維新後は荒廃が進んだが、国宝として昭和の初めに改修が行われた。その後、1945年の沖縄戦などで失われ、残された城址は琉球大学の敷地として使われた。しかし、首里城再建を望む声は高く、国によって復元が進められ92年に首里城公園が開園した。中国と日本の築城文化を融合した建築様式などが高く評価されており、2000年に遺構部分などが「首里城址」として世界遺産に登録され、19年2月に公園全体の整備が完成したところだった。
出火当時、同公園は首里城祭りの準備中で、深夜までリハーサルや舞台設営が行われていた。出火原因は特定されていない(19年11月末時点)が、火元と見られる正殿北東側で配線と延長コードが融けたショート痕のようなものが見つかっており、電気火災によるものと思われる。焼失面積は4000平方メ―トルを上回り、評価額は約100億円に上る。加入していた火災保険の支払い限度額は70億円で、再度新たに復元するためには、その倍以上の費用が必要と見られる。正殿には周囲からの延焼を防ぐために水のカーテンをつくる放水装置であるドレンチャーや放水銃などはあったが、スプリンクラーは設置されておらず、正殿からの出火で火勢が強く手の打ちようがなかったという。文化財であっても消防法では建物の使用用途によりスプリンクラーの設置義務がなく、19年4月のフランスのノートルダム寺院の火災を受けて文化庁が調べたところ、国内の重要文化施設でスプリンクラーを設置している例はごくわずかだった。同年9月に文化庁は「防火対策ガイドライン」を発表し、スプリンクラーの設置を勧告したが、スプリンクラーの誤作動や設置工事で文化財を傷める恐れがあるなどの理由により設置をためらうことも多いという。また、首里城正殿は復元建築物であって文化財に指定されてはおらず、建物内部に展示される文化財が水をかぶって汚損する危険性を考えると、スプリンクラー設置はためらわれたと言われる。沖縄の象徴ともいえる首里城の焼失により、県知事出席のもとに閣僚会議が開かれ、政府は国営公園事業として責任をもって再建に取り組むとしている。

(金谷俊秀 ライター/2020年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android