香々美庄(読み)かがみのしよう

日本歴史地名大系 「香々美庄」の解説

香々美庄
かがみのしよう

和名抄苫西とまにし香美かがみ郷の郷名を継ぐか。現鏡野町東端の香々美を遺称地とし、のち西香々美庄や真壁まかべ庄と称された新庄などがみられるので、香々美川と吉井川によって形成された同町南部の氾濫原一帯に推定される。

嘉禄二年(一二二六)二月五日、天台座主円基は近江日吉社の十禅師金泥一切経供養のために香美庄預所職を寄進(華頂要略)。また徳治三年(一三〇八)一〇月一日に北条貞時は勧修かじゆう(現京都市山科区)に愛染王・尊勝両供料所として西香々美庄を寄進した(「北条貞時書状」勧修寺文書)勧修寺の権利は地頭職(建武元年二月一二日「後醍醐天皇綸旨」同文書など)、建武三年(一三三六)の寺領目録(同文書)に西香々美庄がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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