20世紀日本人名事典 「香川悦次」の解説 香川 悦次カガワ エツジ 明治・大正期のジャーナリスト 没年大正13(1924)年 出生地香川県綾歌郡 別名号=静処,香菴,怪菴,魁菴 学歴〔年〕東京法学院(現・中央大学)〔明治25年〕卒 経歴中央政社幹事を経て、政教社に入り、雑誌「日本人」の主幹として政治方面に文名を馳せた。その後、「万朝報」「やまと新聞」で政治記者として活躍。明治34年清国に渡り、帰国後「支那案内記」を著した。また、福本誠らと共に、中国革命運動に参画。著書に「政界文士風聞録」「大浦兼武伝」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「香川悦次」の解説 香川悦次 没年:大正13(1924) 生年:生年不詳 明治大正期の新聞記者,雑誌編集者。号は静処,香菴,魁菴,怪菴。香川県綾歌郡に生まれる。上京して明治25(1892)年東京法学院(中央大学)を卒業。対外硬派の政治団体中央政社幹事を経て政教社に入り,雑誌『日本人』に記事を執筆。特に怪菴の号で連載した政界記事は評判を得た。明治末期には,新聞『日本』『万朝報』の政治記者となり,対外硬運動の活動に当たった。特に孫文らの南方派の中国革命運動の支援に深く関与した。大正期には,松下軍治の『やまと新聞』記者として政治の表裏に活動し,特に大浦兼武と近かった。 (有山輝雄) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「香川悦次」の解説 香川悦次 かがわ-えつじ ?-1924 明治-大正時代の新聞記者。政教社にはいり,雑誌「日本人」に怪庵の号で政治記事を執筆。のち「万朝報(よろずちょうほう)」「やまと新聞」の政治部記者をつとめる。明治34年清(しん)(中国)へわたり,中国革命運動にもかかわった。大正13年死去。香川県出身。東京法学院(現中央大)卒。別号に静処,香菴,魁菴。著作に「支那旅行便覧」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by