明治中期から大正期の思想・文化団体。1880年代後半の,政府の進める鹿鳴館外交に象徴される欧化政策と秘密外交交渉に端的にあらわれた欧米追随路線に対して,〈外政内政ともに国家みずからの立場〉をとるべきことを主張して,1888年4月3日東京府神田区に創設された。創立時の同人は,志賀重昂,棚橋一郎,井上円了,杉江輔人,菊池熊太郎,三宅雪嶺,辰巳小次郎,松下丈吉,島地黙雷,今外三郎,加賀秀一,杉浦重剛,宮崎道正の13名で,おもに東京大学,札幌農学校出身の新進知識青年であった。機関誌《日本人》(一時,後継誌《亜細亜》)を発行し,幅広い国粋主義を主張し,徳富蘇峰主宰の《国民之友》とともに明治中期の思想界を二分した。一方,高島炭坑坑夫虐待事件(1888)で坑夫救済のキャンペーンを展開し,また大隈重信外相による条約改正交渉に強く反対し,日清戦争に際して対外硬派の主力となって開戦の世論喚起に努めるなど,終始対外的には国権主義の姿勢を示しつづけた。初期は志賀,三宅が主宰し,やがて内藤湖南,畑山呂泣,長沢別天らの若い世代が同人となり,志賀が政治の実践活動を強めるに伴い,98年ころより三宅が中心となった。陸羯南(くがかつなん)主筆の新聞《日本》グループとは終始思想的・人的には異名同体の関係にあり,陸の病気により《日本》の経営が伊藤欽亮の手に渡ると,長谷川如是閑や河東碧梧桐らの《日本》グループを吸収し,1907年1月《日本人》を《日本及日本人》と改題した。23年,関東大震災直後,三宅が離脱して《我観》を創刊(1923年10月)したため,ほぼその使命を閉じた。政教社はその後三井甲之らによって右翼化の傾向を強め,45年まで存続した。志賀《日本風景論》,三宅《宇宙》その他多数の単行本も発行している。
執筆者:佐藤 能丸
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明治中期~大正期の国粋主義者の思想・文化団体。1888年(明治21)4月3日に志賀重昂(しがしげたか)、三宅雪嶺(みやけせつれい)、井上円了(えんりょう)、杉浦重剛(しげたけ)ら13名によって創設され、機関誌『日本人』(後継誌『亜細亜(アジア)』『日本及(および)日本人』)を発刊した。欧米文化の無批判的な模倣に反対し、大同団結運動に参加して立憲主義的な政治論を主張した。政府の欧化路線・条約改正に関しては、その欧米屈従の態度に反対して対外独立の国粋主義の立場をとり、日清(にっしん)戦争の開戦世論の喚起に努めた。初期は志賀、三宅が中心であったが、98年ごろより三宅が中心となった。陸羯南(くがかつなん)主宰の新聞『日本』グループと同傾向の思想をもち、同志的関係にあり、1907年(明治40)1月にこのグループを吸収して機関誌名を『日本及日本人』と改題した。23年(大正12)関東大震災直後に三宅が離脱したため、政教社の伝統は色あせたが、雑誌は45年(昭和20)2月まで刊行された。
[佐藤能丸]
『鹿野政直編『陸羯南・三宅雪嶺』(『日本の名著37』1971・中央公論社)』▽『松本三之介編『政教社文学集』(『明治文学全集37』1980・筑摩書房)』
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1888年(明治21)4月3日に雑誌「日本人」を発刊して成立した思想結社・出版社。中心的同人に志賀重昂(しげたか)・三宅雪嶺(せつれい)ら。政府の推進する欧化主義を批判し「国粋保存旨義」を唱えた。陸羯南(くがかつなん)の新聞「日本」と提携し,平民的欧化を主張する徳富蘇峰(そほう)の「国民之友」と対抗した。日清戦争後は三宅が主宰。1907年,新聞「日本」を継承して誌名を「日本及日本人」と改題。大正期には,他の総合雑誌に押されながらも保守的な固定読者があったが,関東大震災による大打撃と内紛で三宅が退社した。その後,雑誌は45年(昭和20)2月まで発行されたが振るわなかった。
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…時期により変遷はあるが,血統的に一系の天皇をいただく日本の国家体制の〈優秀性と永久性〉を強調する国体論が,核心をなした点では変りがないといってよい。
[思潮と運動]
〈国粋〉〈国粋主義〉という言葉は,1880年代後半に三宅雪嶺,志賀重昂ら政教社の雑誌《日本人》が,明治維新後の文明開化,直接的には条約改正と関連して政府が推進していた欧化主義に反対して,〈国粋保存主義〉を唱道したのに始まる。もっとも天皇崇拝や家族的・共同体的秩序の尊重といった国粋主義の要素はそれ以前から存在していたし,国体論もとくに明治14年の政変(1881)以後に天皇制国家を確立していく過程で,明治政府が意識的につくりあげていたものである。…
…また二葉亭四迷や徳冨蘆花などによる文学の革新をも実現させた。これに対抗した三宅雪嶺,志賀重昂らの政教社は,雑誌《日本人》によって陸羯南の新聞《日本》とともに〈国民主義〉を唱えた。《日本人》は高島炭鉱の坑夫の労働条件の過酷さを訴えて,いわゆるルポルタージュの先駆となり,《日本》は正岡子規の俳句再興の舞台となって国民的なひろがりをもつ短詩型文芸慣習を定位するなど,日本の近代文学に貢献した。…
※「政教社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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