香登庄(読み)かがとのしよう

日本歴史地名大系 「香登庄」の解説

香登庄
かがとのしよう

古代和気わけ香止かがと(和名抄)の郷名を継ぐものか。吉井川左岸の香登本かがともと香登西かがとにしを遺称地とし、伊部いんべ福田ふくだ新庄しんじようを含む一帯に比定される。白河天皇の延久四年(一〇七二)から応徳三年(一〇八六)頃に勅旨田とされ、堀河天皇の時代に立庄された(建久四年九月二三日「八条院庁下文案」根来要書)。一時期聡子内親王家領となったが、聡子の死後鳥羽上皇の院領となり、保延六年(一一四〇)鳥羽院から八条院子に譲られている(永治元年八月四日「太政官符案」同書)。康治二年(一一四三)洪水により庄作田が損失した。増水した吉井川の水が国衙領に入るのを防ぐために当庄の南に大堤が築かれたからであった。久安二年(一一四六)五月、院庁使と国使が庄官とともに現地に赴いて調査した結果、池成損田が四一町五反余に上っていることが判明した。庄官と国使らの交渉の結果、靫負ゆげい服部はつとり両郷(現邑久郡長船町)内の二〇町八反を便宜作田として当庄に繰入れることとなり、同地は服部新庄と称された(以上、長寛三年七月四日「太政官牒案」同書など)

応保元年(一一六一)子は鳥羽院の寵愛した美福門院得子の後生を弔うため、当庄を得子の建立した高野山菩提心院に寄進した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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