日本歴史地名大系 「香登庄」の解説
香登庄
かがとのしよう
古代子に譲られている(永治元年八月四日「太政官符案」同書)。康治二年(一一四三)洪水により庄作田が損失した。増水した吉井川の水が国衙領に入るのを防ぐために当庄の南に大堤が築かれたからであった。久安二年(一一四六)五月、院庁使と国使が庄官とともに現地に赴いて調査した結果、池成損田が四一町五反余に上っていることが判明した。庄官と国使らの交渉の結果、
応保元年(一一六一)子は鳥羽院の寵愛した美福門院得子の後生を弔うため、当庄を得子の建立した高野山菩提心院に寄進した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報