デジタル大辞泉
「備前市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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備前市
びぜんし
面積:一三三・二一平方キロ
県の南東端近くに位置し、東は兵庫県と境する。昭和四六年(一九七一)和気郡の中央部を抜くかたちで成立したため、北は東側から同郡吉永町・和気町と赤磐郡熊山町・瀬戸町、南から西にかけては東側から和気郡日生町、邑久郡邑久町・長船町に接する。東は、南西から北東に抜ける国道二号(旧山陽道)が船坂トンネルで兵庫県赤穂郡上郡町に抜け、国道二号と分岐した山陽自動車道が帆坂峠、山陽新幹線が帆坂トンネルで同県赤穂市に入る。全体的に山がちで、南流する伊里川やその支流高谷川・大谷川を除けば河川は少なく、西端の市境を南流する吉井川東岸に平地がある。中央西寄りに北西に向かって湾が入込んで片上港・久々井漁港・穂波漁港などを形成し、ウバメカシの樹林で知られる住吉島、横島・唐島・前島などが浮ぶ。
〔原始・古代〕
鶴海の海岸部坂田でサヌカイト製石槍が発見され、吉井川東岸の畠田に弥生時代の土壙がある。同地や近接する新庄一帯には円墳や前方後円墳があり、畠田の鶴山丸山古墳からは凝灰岩製のレリーフの施された石棺や、三〇面を超える鏡などが出土した。養老五年(七二一)藤原郡が成立するまで、市域は邑久郡に属した。藤原郡は神亀三年(七二六)藤野郡と改め、三郷であったものに邑久郡一郷・赤坂郡二郷・上道郡三郷を加えた。当市域は、播磨国から船坂峠を越えた官道山陽道が通り、海をもたない美作国の国津ともいうべき方上津を擁する交通の要衝で、備前最初の坂長駅が置かれた。藤原郡時代の三郷のうち市域に比定されるのは駅家郷である坂長郷、要津を含む方上郷の二郷で、神亀三年に加えられた六郷のうち、方上郷の西に続く吉井川東岸の邑久郡香止郷が市域に含まれる。神護景雲三年(七六九)和気郡と改称した。香止郷域には前述した古墳のほか、八世紀の大内廃寺・香登西廃寺がある。
〔中世〕
平安末期から鎌倉時代にかけて皇室領香登庄、新田庄が成立している。船坂峠から三石を通って北西に抜けていた山陽道は、三石から南西に向かって片上・伊部・香登を通るようになった。南北朝内乱期には新田義貞に味方する児島高徳の船坂合戦が知られ、三石宿を見下ろす三石城に天皇方の伊東大和二郎が拠り、山陽道をふさいだという。戦国時代には守護代浦上村宗が同城に居城、東片上の富田松山城、香登西の香登城などとともに、赤松義村と村宗の攻防、浦上氏の内紛の舞台となった。一五世紀には三石に関が設けられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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備前〔市〕
びぜん
岡山県南東部にある市。吉井川支流の金剛川,八塔寺川流域に広がる北部と,片上湾,播磨灘に面する南部からなる。また鹿久居島などからなる日生諸島も含む。東で兵庫県に接する。 1951年片上町,伊部町の2町が合体して備前町となり,1955年香登町,伊里町の2町および鶴山村と合体,1971年さらに三石町と合体して市制。 2005年吉永町,日生町と合体。市名は旧国名の備前にちなむ。中心市街地の片上は中世以降の山陽道に沿う宿駅で,瀬戸内海航路の港町でもあったが,1920年代後半以降は柵原鉱山の硫化鉱の積出港となった。東部の三石も船坂峠の坂下に発達した山陽道の宿駅。三石産のろう石を使用して石筆生産が盛んであったが,大正以後は耐火煉瓦の原料となり,三石,片上,吉永,日生に耐火煉瓦工業が発達。南西部の伊部は良質の陶土に恵まれ,備前焼の産地。周囲には中世・近世の窯跡である備前古窯跡群がある。沿岸部,島嶼部では小型定置網漁,カキの養殖が行なわれる。中部の閑谷にある閑谷学校は藩主池田光政が領民のために創設した学校で国の特別史跡,講堂は国宝に指定されている。穂浪は正宗白鳥の郷里で,兄敦夫の収集した国文学史研究上重要な正宗文庫がある。蕃山は熊沢蕃山の隠棲地。丸山古墳,伊部南大窯跡 (ともに国指定史跡) ,国の重要文化財を所蔵する真光寺,千手院,妙圀寺,道鏡の建立と伝えられる八塔寺など見るべきものが多い。南部の鹿久居島には野生のシカがすみ,鶴島はキリシタンの流刑地だった。南東部は瀬戸内海国立公園に,西部は吉井川中流県立自然公園にそれぞれ属する。 JR山陽本線,赤穂線のほか国道2号線,250号線,375号線,山陽自動車道が通じ,インターチェンジがある。面積 258.14km2。人口 3万2320(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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