加徴米(読み)カチョウマイ

デジタル大辞泉 「加徴米」の意味・読み・例文・類語

かちょう‐まい【加徴米】

公領荘園で、一定年貢以外に徴収する米。鎌倉時代には地頭収入となった。

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精選版 日本国語大辞典 「加徴米」の意味・読み・例文・類語

かちょう‐まい【加徴米】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 公領、荘園において一定の租米や年貢に加算して徴収する付加税平安時代に始まるが、鎌倉時代、文治元年(一一八五)地頭が設置されて以来一般的となり、承久の変以後新補地頭が置かれると一段ごとに五升の米を徴収することが制度化した。徴収された米は地頭の収入となる。かちょう。
    1. [初出の実例]「号加徴米、段別二升五合公物押領事」(出典高野山文書‐建久元年(1190)一一月日・金剛峯寺根本大塔供僧解状案)
  3. 江戸時代以降、小作料のこと。加地子。かちょう。
    1. [初出の実例]「時二とか与作などは未だ臼挽も済まさないうちから強硬に加調米を値切ってゐます」(出典:業苦(1928)〈嘉村礒多〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「加徴米」の意味・わかりやすい解説

加徴米 (かちょうまい)

荘園・公領において,正規の正税官物・年貢に加算して徴収される米のこと。989年(永祚1)の《尾張国郡司百姓等解文》に国司藤原元命が非法に〈租穀三斗六升〉を加徴したことがみえ,1017年(寛仁1)には醍醐寺領伊勢国曾禰荘に対し,国司が〈加徴米三十石〉を課している。これに対し88年(寛治2)の醍醐寺領越前国牛原荘内検帳によると,反別5斗の所当のほかに反別5升の加徴米がみえ,ここに加徴米の新しい形がみられる。備後国大田荘桑原方では1198年(建久9)に前地頭橘兼隆が先例の下司得分として反別5升の加徴米があったと述べており,平安時代の末には反別3升ないし5升程度の加徴米が下司などの荘官得分として一般に認められていたことがうかがわれる。このような加徴米は鎌倉時代の地頭にもうけつがれ,大田荘地頭三善氏ははじめ反別5升,1192年(建久3)以降は反別3升の加徴米を徴収した。肥前国佐嘉御領の小地頭が給田のほかに取得した定得田町別5斗の加地子(かじし)や,肥後国人吉荘地頭相良氏の起請田反別3升の加地子米などは加徴米と同様のものであった。神護寺領播磨国福井荘でも地頭加徴があって,内検によって検出された得田数に応じて賦課されていた。承久の乱の没収地におかれた新補地頭のうち先例の得分のないものについては新補率法が適用され,11町につき1町の地頭給と反別5升の加徴米などがみとめられており,ここから通例の地頭加徴米のあり方が逆に推定される。ただしこのさいの加徴米は1231年(寛喜3)の追加法によると従来の正税官物の枠内で支出されることになっている。鎌倉時代の地頭は先例のない加徴米をとりたてることも多く,しばしば領家との紛争をひきおこしたが,源頼朝が1186年(文治2)に〈加徴課役〉を宛て行うことを禁じて以来,幕府もひきつづきこのような地頭非法を取り締まった。なお,1185年の地頭設置のさいにみられる反別5升の兵粮米は,これまでしばしば加徴米と混同されてきたが両者は別のものである。江戸時代には小作料を加徴と呼ぶ場合もあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加徴米」の意味・わかりやすい解説

加徴米
かちょうまい

公領・荘園(しょうえん)において官物(かんもつ)や年貢のほかに徴収された付加米。平安時代後期にも存在を確認することができるが、その内容は多様で一律に論じることはできない。明確に現れるのは鎌倉期の地頭得分(じとうとくぶん)の一つとしての加徴米で、その初期は、地域の先例によって額が左右され不定であった。しかし承久(じょうきゅう)の乱(1221)後に設置された新補率法(しんぽりっぽう)地頭は、一律反別5升と定められ、地頭給田以外の耕地から徴収しうることになった(鎌倉幕府追加法23条)。その規定によれば「(加徴は)正税(しょうぜい)官物の内たるの条もちろんなり」とあって、官物・年貢のうちから割(さ)き取られるのが原則であった。また、江戸時代には小作料を加徴米とよぶ所があった。

[木村茂光]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加徴米」の意味・わかりやすい解説

加徴米
かちょうまい

平安,鎌倉時代,公領,荘園において規定の年貢以外に徴収される米納の付加税。国司や荘園領主は加徴米により増税をはかった。加徴米の制度は奈良時代からあったが,特に鎌倉時代,加徴米と称して年貢を横領する地頭が多かったので,文治2 (1186) 年太政官符により平家没官領以外に地頭が加徴米を課することが禁止された。しかし承久の乱後,補任された新補地頭には地頭給田以外に反別5升の加徴米を徴収することが認められ,地頭はそれを得分とした。近世になると小作料のことを加徴米と称した例がある。

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百科事典マイペディア 「加徴米」の意味・わかりやすい解説

加徴米【かちょうまい】

荘園・公領において年貢(ねんぐ)のほかに徴収された付加米。承久(じょうきゅう)の乱後,新補(しんぽ)地頭の加徴米は反当り5升。江戸時代,小作料を意味したこともある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「加徴米」の解説

加徴米
かちょうまい

正規の官物や年貢以外に,別に追加して徴収される米。平安時代に受領(ずりょう)が任国内に賦課していた例も知られるが,荘園に対する臨時の公事(くじ)などを名目とした徴収が一般化して,やがて荘官の得分として広く定着するようになる。中世では兵粮米に加徴されることもあり,承久の乱後に定められた新補率法にも,地頭得分として段別(たんべつ)5升の加徴米がみえる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「加徴米」の解説

加徴米
かちょうまい

公領・荘園において,正税のほかに付加徴収された租米
鎌倉時代には地頭が兵粮米などの名目で加徴を行い,特に承久の乱(1221)以後に設置された新補地頭は,段別5升の加徴米徴収を正式に認められ,本補地頭も新儀にこれを徴収した。江戸時代には小作料のことを加徴米と呼ぶことがあった。

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