日本歴史地名大系 「馬上金山跡」の解説 馬上金山跡ばじようきんざんあと 大分県:速見郡山香町立石下村馬上金山跡[現在地名]山香町下江戸時代初期に開発された金山で、六太郎(ろくたろう)村上坂(うえのさか)にあった。寛永六年(一六二九)に鶴成(つるなり)村岩屋(いわや)の又右衛門が砂金を発見したのが契機となり、日出藩主初代木下延俊が藩の直営として鶴成金山とともに開発した。その後産出が落ちて同一七、八年に藩直営を停止した(日出町誌)。以後は個人の経営になった。正保三年(一六四六)六太郎村の領主木下延次は金鉱に運上金をかけた。元禄年間(一六八八―一七〇四)には鶴崎(つるさき)(現大分市)の仲間善右衛門が大きな自然(とじ)金を掘当てたが二日ばかりで掘尽した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by