20世紀日本人名事典 「成清博愛」の解説
成清 博愛
ナリキヨ ヒロエ
- 生年
- 元治1年10月(1864年)
- 没年
- 大正5(1916)年1月18日
- 出生地
- 筑後国小川村(福岡県瀬高町)
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾中退
- 経歴
- 明治20年に上京して慶応義塾に学ぶが、病気のため中退を余儀なくされ、帰郷。23年村会議員に推され、以後、村長や福岡県議などを歴任。その間、九州改進党の結成にも参画し、その資金提供のために鉱山や炭坑を経営するもことごとく失敗した。37年大分県立石の馬上金山の鉱区権を買い取り、43年に開坑。苦心して金鉱を掘り続けた結果、45年に富鉱部を掘り当て、日本有数の高品位と産出量を誇る大鉱山に成長、金山王の名をほしいままにした。その傍ら、大湯鉄道(現・久大本線)や宇佐参宮鉄道(現・大分交通)、両豊銀行(現・大分銀行)の創立に関与。また、港湾整備や慈善事業にも携わるなど、地域の活性化に尽力した。大正4年総選挙に出馬して当選し、政友会に所属するが、間もなく議員を辞した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報