馬廻村(読み)うままわりむら

日本歴史地名大系 「馬廻村」の解説

馬廻村
うままわりむら

[現在地名]三原町八木天野馬回やぎあまのうままわり

大久保おおくぼ村の南東にある。南部は山地成相なりあい川が北流する谷間の緩傾斜地を占める。福良ふくら街道から南東へ分岐した成相寺参道が当村に至る。正保国絵図に村名がみえ、高八〇石余。天保郷帳では高一二〇石余。反別戸数取調書によると反別二一町六反余、高二一一石余、うち蔵入高七四石余・給知高一三六石余、給人は蜂須賀駿河ら五人。家数三四・人数一五〇。水利は主として成相川からのかみなかおとむかいの四井手による(明治二三年「字限地図」三原町役場蔵)。八木組に所属し、庄屋は天保五年(一八三四)書写の庄屋名面帳(高田慎二氏所蔵文書)では水田忠次郎。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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