馬籠館跡(読み)まごめたてあと

日本歴史地名大系 「馬籠館跡」の解説

馬籠館跡
まごめたてあと

[現在地名]水沢市真城

大深沢おおふかさわ川沿いの高さ二五メートルほどの台地にある。東西一〇〇メートル・南北二五〇メートルもある平坦な丘で、中央に千田氏屋敷があり、周囲一帯は水田。北東面は断崖をなし理想的な要害で、堀切ほりきり館ともいう。館主は葛西家臣馬籠四郎兵衛。館屋敷千田家に伝わる馬籠氏系図によると、文明二年(一四七〇)本吉もとよし郡馬籠館(現宮城県本吉郡本吉町)の館主馬籠治郎左衛門が長坂七郎と知行争いをした。葛西左衛門尉の命によりその子長之助が永正三年(一五〇六)堀切郷ほか四郷一七〇貫文を拝領、翌四年堀切に館を築城して移り、柏山氏配下の堀切馬籠館の祖となったという。同年一一月二六日の馬籠長之助宛葛西左衛門尉宛行状(奥州葛西文書)によると、長之助は姉帯あねたい郷・中野なかの郷・堀切郷・小山おやま郷、百岡ももおか(現胆沢郡金ヶ崎町)で計一七〇貫文の知行を宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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