日本歴史地名大系 「馬背野村」の解説 馬背野村ませのむら 大分県:直入郡荻町馬背野村[現在地名]荻町馬背野北に矢倉(やぐら)川、南に山崎(やまさき)川(岩戸川)が南西から北東流し、高い崖と深い谷をつくり複雑な地形となっている場所に位置する。天正一八年(一五九〇)七月二〇日、山村家末孫の手によって村内に山村新兵衛源朝臣宗次の墓が建立された。文禄二年(一五九三)閏九月一三日の田原紹忍知行方目録(中川家文書)に「百四十石五斗壱升 同 ませの村」とある。正保郷帳では松本(まつもと)郷に属し、馬瀬野村とあり、田方一〇四石余・畑方一四九石余で、柴山有と注記される。元禄郷帳では高二五三石余。弘化物成帳では恵良原組のうち、村位は中、免七ツ、田七七石余(八町余)・畑一四一石余(二五町四反余)・屋敷五石余(五反余)で、開田はほとんどなく、開畑四石余(七町余)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by