馬郡村(読み)まごおりむら

日本歴史地名大系 「馬郡村」の解説

馬郡村
まごおりむら

[現在地名]浜松市馬郡町、浜名郡舞阪(まいさか)町舞阪

坪井(つぼい)村の西に位置。東海道が通り、西は舞坂(まいさか)宿(現舞阪町)。南は遠州灘に面し、北は浜名湖の入江を挟み宇布見(うぶみ)村(現雄踏町)。永禄一二年(一五六九)二月二日の徳川家康判物写(紀伊国古文書所収藩中古文書)によれば、馬郡舞坂の三一貫文(船五艘共)などが江馬一成に安堵されている。正保郷帳では幕府領で、田五〇石余・畑一八八石余、本徳(ほんとく)寺領三石・如意(によい)寺(現曹洞宗)領二石。国立史料館本元禄郷帳では浜松藩領。享保郷村高帳・旧高旧領取調帳では幕府領。舞坂宿の加宿で地内の東海道往還の長さは七六〇間。漁船八艘・小船七艘があり、大通行時は新居(あらい)宿(現新居町)に出没した(宿村大概帳)。


馬郡村
まぐいむら

[現在地名]神埼町大字鶴(つる)字馬郡

三本松(さんぼんまつ)川沿いで、東は田手(たで)村(現三田川町)である。

「九州治乱記」に正平五年(一三五〇)「波佐見俊平には伊開彦四郎が跡一所、同吉平には山口彦五郎が跡、神崎庄馬郡十五町を給はりぬ」とある。馬郡(馬群)は、古代において軍馬その他の馬を飼育した部民の馬飼部が居住した所と推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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