日本歴史地名大系 「本徳寺」の解説 本徳寺ほんとくじ 兵庫県:姫路市旧飾磨郡地区亀山本徳寺[現在地名]姫路市亀山手柄(てがら)山の南方、山陽電鉄亀山(かめやま)駅の東に位置する浄土真宗本願寺派寺院。霊亀山と号し、本尊は阿弥陀如来。一般に亀山御坊・亀山本徳寺と称される。前身は英賀(あが)御堂とよばれた英賀本徳寺で、羽柴秀吉の寺領寄進によって現在の亀山に移転した。船場本徳寺縁起(船場本徳寺蔵)や姫路船場本徳寺開基略記・英賀来由并帰参一件(龍谷大学図書館蔵)、「兵庫県史」、旧版「姫路市史」など(以下、断りのない限り上記の史料による)によれば、文明年中(一四六九―八七)本願寺八世蓮如の直弟祐全(播州六坊龍野円光寺の祖)が英賀に道場を建立し、英賀城主三木氏一族の帰依を受け、英賀城下および近郷に専念宗(真宗)の道場が建立された。三木一族と本願寺との関係は「天文日記」に多見する。明応年中(一四九二―一五〇一)蓮如に常随の空善(下間五郎左衛門、播州六坊法専坊の祖)が本願寺九世実如の命を受け播磨に下向、英賀に東かりや道場(英賀大木口と市場口の中間に位置する)を建立し、明応二年二月二八日蓮如より本尊が下付された。のちにこの道場を本徳寺と号したのが当寺の淵源となる。これを機に播磨の真宗は爆発的な発展をみせ、その発展に重要な役割を果したのが本徳寺諸役としての四ヵ寺六坊であり、三道場だった。四ヵ寺とは光照(こうしよう)寺・西徳(さいとく)寺・興宗(こうしゆう)寺・妙善(みようぜん)寺で、播磨六坊は円光(えんこう)寺・光善(こうぜん)寺(現龍野市)、永応(えいおう)寺・万福(まんぷく)寺(現赤穂市)、光源(こうげん)寺・法専(ほうせん)坊。 本徳寺ほんとくじ 大阪府:岸和田市岸和田村本徳寺[現在地名]岸和田市五軒屋町臨済宗妙心寺派、山号鳳凰山、本尊釈迦如来。寺伝によると天正四年(一五七六)明智光秀が僧南国を開山として建立したという。もと鳥羽(とば)(現貝塚市)にあり、当初は海雲(かいうん)寺と称し、それ以前は大日(だいにち)庵といい、紀州根来(ねごろ)寺の末寺であったと伝える。南国は明智光秀の子で京都妙心寺で三英を師として仏道に精進した人物で、父の没後、父の肖像画を書写し位牌を設け日夜供養したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by