馬鞍城跡(読み)まくらじようあと

日本歴史地名大系 「馬鞍城跡」の解説

馬鞍城跡
まくらじようあと

[現在地名]平鹿町醍醐字馬倉城廻

馬鞍本村の東方山上にあり、小野寺家系図(小野寺氏研究資料)に、小野寺時道の弟馬倉能登守道当がみえ、「柞山峯之嵐」に「馬鞍故城は、小野寺臣馬倉能登守、同右兵衛か邑城」とあり、「此城大山にして後は深山へつゝき誠に絶地也」とある。

奥羽永慶軍記」に文禄五年(一五九六)最上勢が山北せんぼくへ攻め入り、馬倉城は要害堅固であったが、兵糧不足のため城主馬倉能登守は横手城へ退き、嫡子の馬倉右兵衛尉は討死したとある。その後最上氏の家臣伊良子将監が城主となったが、翌年小野寺氏が伊良子氏を討って奪回し、先の城主関口(馬倉氏ともいう)能登守が再び居城した(柞山峯之嵐)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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