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横手城 よこてじょう

日本の城がわかる事典の解説

よこてじょう【横手城】

秋田県横手市にあった戦国時代の山城(やまじろ)。戦国時代、横手氏、大和田氏、金沢氏が居城としていたが、小野寺氏に反抗したため平定され、その後、小野寺氏は同城に拠点を移した。この当時、同城は朝倉城と呼ばれていた。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの後、当時の城主の小野寺義道は上杉景勝(かげかつ)と通じたことから、徳川氏から西軍方とみなされて改易となり、同城は最上氏の一時的な所有を経て、1602年(慶長7)に秋田に転封となった佐竹氏の久保田藩の属城となった。1620年(元和6)、幕府の一国一城令により久保田藩内の多くの城が棄却されたが、横手城は佐竹義宣の働きかけにより棄却がとりやめとなり、久保田藩内では、本城である久保田城(秋田市)、大館城(大館市)とともに江戸時代以降も城として存続した。また、同城は1622年(元和8)の宇都宮城釣天井事件で流罪となった、元幕府年寄の本多正純(まさずみ)が晩年を過ごした城としても知られ、城跡に墓碑が建っている。幕末から明治にかけての戊辰戦争では、佐竹氏は官軍・新政府側に与したため仙台藩と庄内藩の攻撃を受けたが、その際横手城は落城している。このとき城の大部分は焼失し、戦後、同戦争の戦死者22名の霊を弔うために、本丸跡に焼け残った木材を使って秋田神社が建立された。現在、城跡は横手公園として整備されている。ただし、園内にあるのは1965年(昭和40)完成の模擬天守閣で、横手城の遺構を復元したものではない。同城は大規模な石垣や天守閣は持たず、土塁と櫓(やぐら)だけの城郭だった。ちなみに、この模擬天守閣は東北では最も古い。JR奥羽本線横手駅から徒歩約20分。◇朝倉城、阿櫻城、韮城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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